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とらっくばっく

2007-11-10ぼくばなの(妄想じゃない)レビュー

かつて発売が計画されたが実現しなかった幻の本、「ぼくばな」を読む機会があったので書評を書いてみる。

この本は極めて特殊な本である。何が特殊かというと、この本は「非直線的思考」に従って書かれている。

「直線的思考」とはつまり、時間・空間的に連続であり、論理的に整合性があり、物質世界に適応しており、1、2、3、とくれば次は4であるというような思考である。逆に「非直線的思考」とは、時間・空間は問題とせずむしろ親和性を重んじ、論理は通じず、物質世界よりはむしろ睡眠中の夢の世界の性質に近く、1、2、3、とくればそういえば昔ビー球の数をこうして指で数えていたなぁ、というような思考である。

こういった特徴を持つ本書は、通常の本と同じような読み方をしてもその内容を楽しむことは出来ない。支離滅裂で無意味でくだらない文章が並べられているだけに思えてしまうだろう。しかしそうではない。キュビズムを取り入れたピカソの絵が、一見荒唐無稽幼児落書きのようにも見えながら、見方が分かれば実は多くの価値を内包しているように、本書も読み方が分かれば多くの価値を内包していることに気付くだろう。

ではどのように読めばいいのかだが、作者は次のように書いている。

小説ストーリーもすすむわけですが、読む人も成長してしまうみたいな感じですね。

成長するコツとしては、

読み返したりしない

意識して覚えようとしない

解釈しようとしない

といった感じで、とにかく高速で読み流してください。

このように読んでいけば、字面を論理的に解釈しようという直線的思考が介在しにくくなり、読者の無意識の中に言葉の背後に作者が込めた感性からの印象を受けとりやすくなる。そしてその印象は、意味が一通りに限定された通常の小説の文章と異なり、読者の数だけの影響の受け方が出来る。それはそれぞれのシーンがその読者の記憶の中からそのシーンに象徴されるものを呼び起こし、それを体験するというようなものだ。しかもそれが意識的には無自覚に行われていく。(表層意識にとっては、無意味な文章を読み流しているだけに感じられる。)

意識的に解釈せずに読み流すということが難しい人は、これは自分が見ている夢なのだと想像しながらこの文章を読むとよいかもしれない。夢であればどんなに突飛なことが起こっても抵抗が少ないだろうし、気楽に眺めていけるだろう。

このように読んでいけば、目を醒ましていながらにして、通常は夢を見ている間しか出来ないような非直線的思考を体験出来る。これはとても珍しいことで、非常に特殊な娯楽だと言える。なにしろ目覚めながらにして夢を見られるようなものだ。

通常の小説においては、実は一部の特定のシーンなり台詞なりが作者が表現したかった感性を現しており、そのシーンが存在することが論理的に整合性を持つような付随的説明が文章の殆どを占めるという構造になっている場合が多い。これは物質世界と直線的思考に慣れた読者に対して、通常の文字では表現しにくいものをなんとか表現しようとした結果であるので仕方の無いことだ。詩や俳句といった短い文章で感性を表現することも可能ではあるが、それは表現するものを限定することにより成り立っている。その点「ぼくばな」は、論理的整合性を排除することにより、小説でありながら詩と同レベル感性密度を文章に持たせようとしている。そのために

本日ぼくばなの配信を始めましたのでお知らせ致します

というような、断片を切り出すという通常の小説では不可能な読ませ方も可能にしている。

これはまったく新しい文学形式だと言えるのかもしれない。

また、このような読み方をしている意識状態においては、人は暗示の影響を受けやすくなるが、幸い作者は平和幸福を愛する人である。

少し気分が悪くなる方もいらっしゃるかもしれませんが、ぼくばなの中で死んだり不幸になったりする人は一人もいません。

最後には幸せっぽい感じになるように書いてありますので、御安心ください。

と書いているように、無意識恐怖感を植えつけられたりすることはなく、逆に精神は大いに癒される効果が期待される。


このように、「ぼくばな」は極めて特殊な本である。現在

本日ぼくばなをリリースしましたのでお知らせします

から読むことができるので、この新しいジャンル文芸作品を楽しんでみてはどうだろうか。


しかしこの作品は、無名の作家新ジャンルを創出してしまったために、それが凄いものだということが誰にも理解されないという状況にあると思う。キュビズムももしピカソが無名の時代に描いていたらだれも評価しなかっただろう。作者には一般的なジャンルの作品でも活躍してほしいと思う。


追記1

それにしても、この作品で表現されているような体験や思考をする人が、毎日普通会社で時間を守って仕事をするなどということが出来るということに驚く。この作品の元となる非直線的思考をするということは凄いが、その思考を小説として体を為す形にまとめるというのはそれよりはるかに凄い。しかしそれよりももっと難しいのは、そういったことをするような人が時間という直線的思考の代表のようなものを守って普通仕事をするということだ。それを可能にするためには膨大なエネルギーや工夫が要るように思う。感心するばかりだ。

追記2

そういえば誤字を発見した。

田中は前身紫色になって人形みたいな動きをしていた。

前身>全身

>もうだけ少し上手にしようと思ったそうです。

もうだけ少し>もう少しだけ

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