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とらっくばっく

2007-05-03どんなに科学技術が進歩して生産性が向上しても人々が長時間労働から

[]どんなに科学技術進歩して生産性が向上しても人々が長時間労働から解放されない7つの理由

 人々の生活が便利で豊かになり皆が幸福になれることを願って多くの人が努力を続けてきた結果今日科学技術の発展がある。便利な道具、機械、新技術、新エネルギー、等々。

 これによって人間生産性は飛躍的に向上し、一人の人間が生み出すことが出来る価値の生産性は何十倍にも、何百倍にもなった。(例えば、単純比較は出来ないが、360馬力のトラックを運転する人間は、およそ馬360頭分の荷物運搬能力がある)

 それならば、人間生きるために働かなくてはならない平均時間は、原始時代の数十分の一、数百分の一になっていてもおかしくないはずだ。ところがそうではなく、


狩猟採集民族―1日2時間労働*1

現代の日本人―1日6時間労働*2 


というように、逆に大きく増えている。これがなぜなのかを、7つの要因から説明する。



理由1 お金お金のあるところに集まるから

歴史上のあるときから、通貨が使用されるようになった。これによって生産した価値(食料等)を容易に運搬、貯蓄できるようになった。すると必然的に、富の集中が起こる。一人の人間が食べられる量には限界があるし、食べ物はすぐに腐ってしまうため、それほど多くを所有していても意味が無い。しかしお金としてなら、理論無限に蓄えることが出来る。(1万円札、100万円札、1億円札・・・と作っていけばよい)こうして力のある者は、自分が使う以上の価値を集めるようになった。

 お金の性質と人間の性質から、資本主義経済というものが生まれた。この仕組みには、基本的に次の性質がある。

お金お金のあるところに集まる」

これは、地球上では水が高きより低きへ流れるのと同じように、資本主義経済という状況における基本的性質である。お金があると、人を雇い、その人が生産した価値の一部を回収することで、自分で働かなくても元のお金より増やすことが出来る。また、土地の所有権を得、その土地を人に貸すことで、自分で働かなくても元のお金より増やすことが出来る。このようにして、一定量を超えたお金雪だるま式に増えてゆく。

 お金とは、社会的権利である。それは、社会において他の価値と交換できることの保証である。そしてその権利は、自分の子ども相続することが出来る。従って、お金持ちの家に生まれた子どもは、確実ではないながらも、生まれながらにお金持ちであり続ける権利を持っているといえる。ではその権利とはなにか。それは他の人々から価値の提供を受ける権利である。

 さて、お金持ちの家に生まれなかったあなたがたは、生まれながらにお金持ちの家の子に対して社会的に借りがある。これを一生のうちで、知らず知らずのうちに返していくことになる。こうして、富める者はますます富み、貧しいものはますます貧しくなり、貧富の格差は大きくなっていく。

 日本の国土は約38万k㎡である。これを人口1億3千万で割ると、約3000㎡になる。つまり、土地の個人所有をやめ、赤ん坊が生まれたら国が土地を無償で貸し与え、死んだら国のものに戻るという公平な方式にした場合、あなたの所有する土地は3000㎡である。

 道路や役場等、公共の目的のために使われる部分はあらかじめ差し引いておくことにすると、日本の国土の3.5%は道路であり*3、国土の1/4が国有であり*4、その他産業活動のための土地もあらかじめ考慮すれば、個人が自由に使う分は半分くらいになるかもしれない。それでもおよそ40m四方の土地があなたのものだ(そのうちの半分以上は森林だが)。

 ではあなたは、生まれながらに1500㎡ほどの土地を得られたであろうか?或いは、4人家族に生まれたなら、その一家は6000㎡ほどの土地を持っていたであろうか?もしこれより少ないならば、公平分配の場合に比べ、あなたはその分だけお金持ちに価値を搾取されることになる。もしこれより多いならば、あなたはその分だけ貧乏人から価値を搾取できる。家賃、土地代などの形で。

 これは土地を例に上げての非常に大雑把な説明だったが、それ以外でも資金が多いほど資金を増やすのに有利になっている。例えば投資においても、同じリスクとリターンの金融商品でも、大きな額を投資することにするだけで、利益率は大きく設定されている。税においても、持っている資金が多いほど、多くの多様な節税が可能になり、実際に払う利率を低く抑えることが可能になる。

 このようにして富を集めた人々は、権力を持つようになる。そして権力を持つものが、経済制度を作る。では彼らはどの程度の搾取加減にするだろうか。それは、暴動や革命が起きずに治安が保たれる程度、すなわち人々がなんとか耐えられる程度の長時間労働をすれば、そこそこの生活を送れる程度の加減に設定する。昔風に言えば、百姓は生かさず殺さず、ということだ。どの程度が生かすで、どの程度が殺すにあたるかは、時代によって変わってくるが、制度を安定して保てる限りにおいて最大限に搾り取ることになる。

 これらは人間の基本的性質であるので、良心に期待する、等というのは不可能だ。例えば次のようなボタンを思い浮かべて欲しい。そのボタンを一回押すと、全ての日本人から本人が知らないうちに1円ずつ徴収し、あなたの貯金が1億3000万円ほど増える。さて、あなたがこのボタンを持っていて自由に押すことが出来るとき、あなたは押さずにいられるだろうか。どんなに貧乏な人とはいえ、1円取られたくらいでは別に彼の生活に何の影響も無いだろう。むしろ気付きもしないだろう。そしてあなたがボタン押したことを、あなた以外の誰にも知られないとなれば、あなたが幸福になるだけで、だれも不幸にならない。正直に言って、私といえどもこのボタンがあったら一度も押さないとは言い切れない。むしろ、軽い気持ちで5,6回は押してしまうのではないだろうか。そのボタンを押す権利を、ライバル達と競争して手に入れたり、努力努力を重ねて手に入れたり、あるいは先祖代々受け継いできたりしたという場合には、なおさら押すことに抵抗は少なくなるだろう。そして是非ともその権利を手放さないようにしたいと思うし、自分の子どもにもそのボタンを押す権利を引き継ぎたいと思うだろう。

 さて、公共事業に関する利権を持っているということは、このボタンを持っているということである。また、1億円を節税する施策を講じるというのは、このボタンを押すということである。このボタンを押すことは、非合法である場合もあるが、合法な場合も多い。そして、このボタンは多くの人が持っており、皆がたくさん押している。自分の家族や周りの人がたくさんこのボタン押している場合、自分だけが押さないでいることが出来ようか。

 こうして多くのボタンを所有する人がたくさんボタンを押すために、だれもボタンを持たない場合に比べ、あなたの賃金は今の水準まで下がっており、あなたの払う税は今の水準にまで上がっている。


このように、いくら生産性が上がっても、余剰分はすでにお金が集まっている場所に集まるので、人々は長時間労働から解放されない。

 相続税率を高くすることによって富の集中を緩和することも可能ではあるが、組織における権力等、様々な課税されない形に権利を置き換えて相続していくことも可能だ。また、世界に複数の国家があると簡単にはいかない。

武富士元会長長男の追徴課税、1330億円を処分取り消し : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

このように、税率の低い国へ移住すれば良いだけなので、税率を上げるだけでは金持ちが日本から逃げてしまい、トータルでの税収が減ることになってしまうためだ。



理由2 価値破壊技術進歩するから

科学技術進歩によって価値生産の効率が飛躍的に高まると、同時に価値破壊の効率も飛躍的に高まる。

 この世に武器が石オノしか存在しなければ、自己防衛の為には石オノを一本準備すればよい。

 自国と利害の対立している国が、自国を射程に入れた大量の核ミサイル群、強力なミサイル防衛機構、最新の設備を備えた大規模な陸海空軍、情報機関、等を配備している場合、自己防衛の為には同等のものを準備しなければならない。さらに相手が毎年軍事技術研究と軍備拡大を行っている場合、自己防衛の為にはそれと同等のペースで自国の軍備を強化しなければならない。

 又、ひとたび戦争が始まれば、そこで使用される兵器の破壊力が高いほど、破壊される価値は大きくなる。莫大な価値がつぎ込まれた兵器を使って、莫大な価値がつぎ込まれた相手の兵器を破壊するのだ。

 また、兵器以外で破壊されるものも、非常に価値が高いものになっているため、そこで失われる価値も大きくなる。

 ある町の建物がすべて竪穴式住居であれば、その町が敵に焼き払われても事前に住民が避難していればそれほど多くの価値は失われない。

 ある町の建物がすべて地上300m以上の高層ビルであれば、その町が敵に焼き払われると事前に住民が避難していても非常に多くの価値が失われる。

 そして、人間一人が殺された場合の経済的損失にも違いはある。人間の命自体の価値は同じであったとしても、その人に対してそれまでにつぎ込まれた経済的価値は異なる。10年以上の教育という経済価値をつぎ込み、その後何年間も莫大な費用をかけて軍事訓練をした兵士を、同じように価値をつぎ込んで訓練されてきた兵士が殺すのだ。

 このように、対立する国家がある限り、それぞれの国家軍事費用どんどん増やしていかなければならない。では軍事費用はどこまで増えるのだろうか。それは、「これ以上多く働くくらいなら、多少軍事費用を削って他国から侵略される危険性を増やすほうがマシだ」と多くの人が思う程度、つまり人々がそれなりに長時間労働をすれば賄える程度までだ。こうして、いくら技術進歩しても、浮いた時間は軍事費用捻出のための労働に当てられるために、全体としての平均労働時間は短くならない。


 そして、科学技術進歩すると、環境破壊技術進歩する。

小規模な生産活動では、それが与える地球環境への影響は、地球の自浄能力の範囲に納まる。しかし生産性が上がり、大規模な生産活動が可能になると、地球環境破壊の影響が無視できなくなってくる。大気汚染、水質汚濁、砂漠化オゾン層破壊、等等。そしてこれら地球環境の修復には多くの資金、技術、労力が必要とされ、しかもそのための技術を開発するためにはさらに多くの価値を投入しなければならない。

こうして、生産性の向上自体が、さらに多くの価値を生産する事を要求するようになる。



理由3 生産性が上がると無駄も増えるから

 生産性が上がると、少ない労力で価値生産が出来るようになるために、多様な製品が作られる。それらの多くは、必要だから作られるのではなく、まだ作る余裕があるから作る、ということになる。

 殆ど使われていない高速道路や大きな橋を見たことがあるだろうか。それらは必要だから作られたのではない。作れるから作ったのだ(そしてそれを決定する人に個人的に利益になるから)。それらを作るために消費された経済価値はどこから来たのか。それは、生きていく為に必要な分以上に生産された余剰価値から来た。

 市場には、人々にとって必要という訳ではない商品で満ち溢れている。あなたは、必要というわけでは無いけれどとりあえず、なんとなくある商品を買ったという経験を持っているだろうか。その商品を買うための価値、その商品を作ることを肯定することになった経済価値はどこから来たのか。それは、あなたが生きていく為に必要な分以上に生産された余剰価値から来た。

 このような例もある。

2千円札、なぜ使われない?…日銀に8割の7億枚眠る

新紙幣に読み取り機械を対応させるため等で経済効果が数兆円あったとしても、その資金の出所は人々の長時間労働による余剰価値である。結局これは、長時間労働してゴミを作ったということだ。

 このように、生産性が上がると無駄生産活動と無駄な消費活動も増えてしまうために、全体としての労働時間は短くなりにくい。



理由4 要求される価値の量も増えるから

 人は、売られていないものは買おうとしないが、売られているものは買いたくなる。

 人はだれしも、出来ることならもう少しいいものが欲しいと思っている。まずい水しかないならそれを飲むが、おいしい水もあるならそちらを飲む。たとえ少し高くても、それが支払える金額であるならそちらを選ぶ。

 もう少しいい家が買えるなら、そちらを買う。もう少しいい演奏が聴けるなら、そちらを聴く。もう少しおいしいものがあるなら、そちらを食べる。もう少し面白いものが見られるなら、そちらを見る。たとえもう少し高くとも。

 ではどこまでだったら高くても支払うのだろうか。それは、自分がそれなりに長時間労働をすれば買える程度の値段のものなら買うのである。あまりにも長時間働かなくては買えないほど高いものなら買わない。

 そしてこうした消費者の要求に応えるため、生産者も常によりよいものを開発、生産していかなくてはならなくなる。そのためには、自分がなんとか我慢できる程度の長時間は働くことが要求されていく。

 又、人間には好奇心がある。世界の全てを、どんどん広く、どんどん詳しく知りたいと願っている。そこで、非常に細かく、非常に広い範囲を探索していくことになる。別に、遠く離れた宇宙のどこかに何があろうとなかろうと、殆どの人にとってはどうでもいいことなのだが、一部の人にとっては興味のあることだ。そしてその一部の人お金を持っている。そのため、何万人もの飢餓を救うことが出来るお金を投じて、遠くの宇宙を探査する機器が飛ばされる。研究費用に予算を割く。宇宙の全てをマッピングし、全ての謎を解くためには、どれほど多くの研究費用を投じても足りないのだ。芸術というものも、生きるために必要な分以上の価値があるところで盛んになる。オペラでもバレエでもコンサートでも、観客の一瞬の幸福感のために莫大が価値が投入されている。経済的時間的余裕があればその分多くの芸術活動に投資することが出来、実際にそうするだろう。そのため、芸術活動が盛んな文化ほど余裕があると見ることも出来るが、結局生産性が上がって余剰価値が生み出されても、それらは趣味的活動に使われることになるため、労働時間短縮にはならないことになる。

 そしてまた、病気医療というテーマがある。人間には共通して、病を避けたいという欲求があるため、それを可能にする医療技術の向上に余念が無い。そして可能であれば、多少高くても出来るだけいい医療を受けて、長く生きようとするのである。高度な医療にはそれだけ高度な技術や設備が要求され、それだけお金がかかる。では、どの程度までなら高くても払おうと思うのだろうか。それは、「ある程度長時間働けば払える」くらいの金額までである。あなたの愛する人が病気にかかった。手術をすれば治る。手術の費用はいくらだったら払うのだろうか。あなたが毎日8時間20年間働けばなんとか払える金額だったら払う人が多いだろう。しかしあなたが毎日16時間50年間働かなければ払えない金額だった場合、あきらめる人が多いだろう。こうして平均的医療水準は、人々がそれなりに長時間働くと支払える程度の金額が要求される水準に落ち着くことになる。

 このようにして人々は、医療費を支払うためにも長時間労働からは解放されないことになる。



理由5 非生産年齢にあたる人の割合が増えるから

 科学技術進歩すると医療技術進歩し、平均年齢が上がる。すると、生産活動終了(定年)から死亡するまでの期間が長くなる。また、科学技術が進んだ社会では、そこで生産活動をするために要求される技術水準も高くなる。すると、生まれてから生産活動開始(就職)までの訓練期間(就学期間)が長くなる。つまり、全人口における非生産年齢の割合が高くなることになる。

 学校存在せず、子どもは家事や畑仕事を手伝い、大人も大抵40歳になるまでには怪我か病気で死ような文化程度の社会においては、5人の人間を養うためにそのうち3~4人が働いていた。しかし科学技術進歩すると、5人を養うためにはそのうち1~2人しか働けなくなる。しかも、5人の要求する経済価値は科学進歩に比例して高まっているために、生産性が向上していても楽にはならない。さらにまた、老人の要求する医療は高度化していくために、そのための資金はどんどん高くなる。

 こうして、科学技術進歩しても生産年齢に当たる人の労働時間は長いままとなる。



理由6 競争相手も進歩するから

 ある意味で、生存は戦いであり競争である。

科学技術進歩すると、競争相手の科学技術進歩する。あなたがライバルとこれまでと同等に戦うためには、技術進歩しても相手が労働時間を短縮しないようなら、こちらも短縮するわけにはいかない。

 軍拡競争の例でもあげたが、少なくともライバルと同等の時間働くようにしないと、勝負に敗れて滅びることになる。他の条件が同じ企業同士なら、社員の労働時間が長いほうが有利になる。1商品あたりの人件費が安くなるからだ。この原則がある以上、企業は出来る限り社員の労働時間は長くしようとする。従って労働者労働時間は短くなるどころか、逆に長くなろうとする。資本主義的自由競争を廃止し、計画経済にすればこの競争を無くすことは出来る。しかしそれは、技術進歩、商品の質の向上、を著しく阻害するために、他の資本主義の国々との貿易競争において敗北し、ソビエト連邦のように崩壊することになる。経済的に完全に鎖国するならばその問題も回避することが出来るが、それはつまり自国を守る軍事力を放棄することになる。計画経済の下では勤労意欲は低下するので、経済の発展は鈍くなる。すると、軍事開発に割ける費用も減少し、軍拡競争で遅れをとるためだ。

 武力無しで国の安全が保障されるならば、実際のところ非常に理想的な社会を作ることが可能だ。しかし人類歴史を見ると、非常に幸運な場所にあった小さな地域でないかぎり、国防力を持たない国は滅ぶか、植民地とされた。侵略的気質を持つ国家は、見逃してもいいほど小さなものでない限り、価値ある土地は手に入るものなら手に入れようとする。野生動物王国だった土地も、そこが人間が住むのに適していると判断されれば動物達を駆逐し、人間の街を作った。動物は僅かに柵の中に入れて、その希少さを眺めて楽しむだけになる。北米に広く居住していたネイティブアメリカンは、住みよい土地から駆逐され、僅かに居住区に定められた貧しい土地に残るだけだ。オーストラリアに広く居住していたアボリジニは、住みよい土地から駆逐され、住みにくい土地に残るだけだ。それらの土地も、もし石油や貴重な資源が埋蔵されていると分かれば、すぐに別なもっと魅力の無い土地へ追いやられるだろう。帝国主義的気質が減った第二次世界大戦以降も、国境線を引き替える為の戦争は後を絶たない。チベット中国に取り込まれてしまったが、それ以外でも世界中で紛争はあり、軍事力で勝ったものが多くの土地を得られる点は同じだ。朝鮮半島38度線現在の場所にあるのは、朝鮮戦争での両国軍事力バランスがそこでせめぎ合う強さだったからであるし、カシミール地域の分け方も、インドパキスタン軍事力バランスで決まっている。仮に日本が完全に武力を放棄してアメリカとの同盟も解除すれば、竹島問題はその領有を主張する韓国に占領されて決着するだろう。そして中国や他の国々が本州の領有を主張する日も遠く無いだろう。

 個人レベルで見ても、生存競争はある。より多くの資源と、よりよい異性を獲得する戦いだ。

 同等の条件で働く能力が等しい2人の人間が居た場合、より長く働いたほうがより多くの収入を得る。さて、他の条件が同じである場合、一日4時間働き月収が20万円である男性Aと、一日8時間働き月収が40万円である男性Bがいた場合、どちらが多くの女性の目に好ましいと映るだろうか。尚、Aは浮いた4時間で昼寝をするとしよう。

 通常、収入は多いほど好ましいとされる。そして他の能力が同じなら、収入は長く働くほど多くなる。よりよい異性を得るためには、自分の負担になりすぎない中では、なるべく多く働くほうが有利となる。長時間働くことが出来るということは、それだけ勤勉で体力があることの証明にもなる。また、他の要素が同じなら、長時間働くほうが出世しやすい。こうして、他の能力が同じでも労働時間と地位の開きから、収入の差はさらに大きくなる。

 収入が多いほど、子ども教育にかけられる費用も増える。よりよい教師、よりよい技能、より豊かな体験を与える機会を、金銭的理由で逃すことが少なくなる。学費さえ払えれば子ども希望する大学に行けるという状況でも、お金が無ければあきらめるだけだ。

 こうして、より長時間働くという性質をもった遺伝子なりミームなりは、そうでないものより生き残りやすいがゆえに、全体として長時間働くという傾向は減少しにくい。



理由7 仕事をしないと暇になる人がいるから


 一端長時間労働習慣化してしまうと、それをしていないと何をしていいか分からなくなってくる人がいる。また、仕事自体が楽しくて仕方が無い人もいる。こういった人々はそもそも労働時間を短くしたいと思わないし、しようともしない。従って、自発的に長時間働くようになる。すると、競争原理によって同じ職場の人も、競業他社の人も、長時間働かざるを得なくなってくる。そして又、ある程度長時間働くことが当然という文化も生まれてくる。こうして、労働者自らが、労働者に対して長時間働くことを要求するようになってくる。これでは労働時間が短くなるはずは無い。



まとめ

これまで見てきた理由によって、科学技術進歩しても人々は長時間労働からは解放されず、むしろ労働時間は長くなっている。

 では労働時間を短くするにはどうすればいいのだろうか。

働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ

働かなくても生きて行ける煉獄


等で描かれている働かなくてもよい未来は、来ることは無いだろう。仮に遠い将来殆どの作業を機械コンピュータ自動化して、人間が何もせずに衣食住を手に入れられるようになっていても、人間たちは更なる科学進歩のため、宇宙の探査のため、高品質の生活のため、寿命をのばすため、そして他人との競争に勝つための仕事からは解放されないからだ。(餓死者は居なくなるかもしれないが)

科学技術が究極的に進歩して、全ての人類が不老・不病・不死を手に入れることが出来たならば、さすがに労働時間は0になり得る。しかしそれは待ち続けるにはあまりに遠すぎる未来だ。

  現実的な提案として


むき出しの自由競争では人々は疲弊し貧困が拡大。自由競争を否定すると欲望が抑圧される。この矛盾を解決してみなが素直な気持ちで豊かに生きられる社会。

日本が人々が将来の不安なく暮らせる国家を作れない、世界構造的な理由


等がある。少しずつ努力していくことにより、段階的に現状を改善していくことが期待できる。


 さて、科学進歩しても、社会制度が変わっても、社会を構成する人間の意識、価値観が同じならば労働時間の短縮は難しいだろう。人間に他人を出し抜き、制度を悪用し、自分が一番上に行こうとする性質がある限り、そして他人と死に怯える限り。

私は、労働時間を短くするために必要なものは「労働時間を短くしようという意志」だけだと思う。もちろん制度的に改革すべき点はあるだろうが、それらはすべてこの「意志」への付随物だ。ではその「意志」はどこから来るのだろうか。単に、労働から逃れたい、楽になりたい、何もせずに暮らしたいという逃避的な動機から来るのであれば、それは力を持たないだろう。その意志は力が弱いため、他人を支配しようという他者の意志に捕われて、長時間労働を「させられて」しまうことになる。労働時間が短くなってできた時間で、あなたは何をしたいのだろうか。人々は何をしたいのだろうか。労働時間が短くなっても単に暇を持て余すだけであるなら、その分労働していても同じだろう。逆に、自分が真にやりたい創造的活動をするために今より労働時間を短くしたい、という動機から「意志」が来るのであれば、それは強力なものとなる。その強さは他人からの支配しようという意志に影響を受けない。そして結果的に、その活動はそれまでの労働以上の価値を生み出すことになる。経済的なものではないかもしれないが、人類幸福貢献するという観点から見た場合の価値だ。(子供と遊ぶ、等)

そして実は、そういった活動をする人や組織は、経済的価値ばかりを重んじる競合相手よりも競争上有利になる。なぜなら本来人間が求めるのはお金よりも幸福なのであり、創造的活動をする者はより多くの幸福を人々にもたらすために人々に好まれるためだ。

結局のところ、社会制度が今のままであっても、あなたにその「意志」さえあれば、すぐにでも労働時間は短くなるのである。人々も、その「意思」さえ持てば、長時間労働から解放されるのである。そして人々がその「意志」を持ったとき、社会制度はそれに付随して変わるのである。そしてその「意志」をもつために、「とりあえず労働時間を短くしよう」とする前に、「労働時間が短くなった分で何をしたいか」を探ることを推奨する。

時間とお金と状況が揃ってから何をするか考えようと思っても、その機会は来ないだろう。何をするかが決まると、その機会がやってくるのである。

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