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2007-04-22神の存在証明

[]神の存在証明

神はいる、と論理的に説明できるかた、お願いします。


まず、論理1、論理2、で簡単に説明します。


論理1初め

存在する全てをEと置く。

Eを作り出した者を神と定義し、Gと置く。

Eは全てであるので、GはEに含まれるか、もしくはGとEは等しい。

この世は完全な無ではない。

従ってEは0ではない。

よってGは0ではなく、存在する。

従って神は存在する。

論理1終わり


論理1を異なる形で表現するための論理2を以下に示します。


論理2初め

存在する全てをEと置く。

Eの内で、自らを原因として存在する部分をE1、自らを原因とはせずに存在する部分をE2と置く。

E2が存在する原因はEの内に求めねばならず、しかもそれはE2内にはないので、必然的にE2の存在する原因はE1にある。

よってE1は、自分であるE1が存在する原因でもあり、E2が存在する原因でもある。

そこでE1を創造者・神と呼ぶ。E2を被造物と呼ぶ。

E1が存在しなければE2は存在しない。

従って神は存在する。

論理2終わり


次に、論理1においてE=Gである場合、或いは論理2においてE=E1、すなわちE2=0である場合の説明をするための補足的論理論理3を紹介します。


論理3初め

論理1においてE=Gであるならば、存在する全ては自らを原因として存在する。

このときGでないものは0であるので、全てはGである。

従ってこの場合全ては神である。

論理3終わり



次に、神はどのような性質を持っているか、ですが、少なくともこの宇宙を生み出し存続させるだけの力はあることは分かります。又、どのような意識、意図を持っているのかという点については、人間の意識と同じように

意識の謎を解いてみました


で述べられている通りです。(人間には意識があることを論理的に示すことは不可能であることが示されています)



次に、どうすれば神の存在を実感できるか、ですが、2つの方向性を示します。


1 状況から論理的に推察する。

神がこういう性質を持っているなら世界はこのような性質を持っているはずだという仮説を持ち、この世界を観察し、それを検証する。もしくは、世界がこのような性質を持っているということは、神はこういう性質を持っているのかもしれないと推察する。こうしたことを様々な状況に対して様々な角度から繰り返していくことにより、神の存在と性質に対する実感を深めていくことが出来る。あなたも火が熱いという実感を、火に近付く体験を通して深めてきたはずです。


2 直接に体験する

これは、こちらの記事を参考にしてください。

人間が生まれ、死ぬ理由


以上です。

sasadasasada2007/04/22 20:08 おぉ、すごい!!
 でも、私にはちょっと分からないところが有りました。
 以下、単なるチャチャ入れですので、無視していただいて結構なのですが。。。

論理1について。
 時空間のうち、時間が扱われていません。

 定義1「存在する全てをEと置く」
 定義2「Eを作り出した者を神と定義し、Gと置く」
 推論1「Eは全てであるので、GはEに含まれるか、もしくはGとEは等しい」

 ココで破綻するのでは。なぜなら、

 推論1a「Eは存在する全てであるので、GはEに含まれるか、もしくはGとEは等しいか、*もしくは既にGは存在しない*」
 推論2 「この世は完全な無ではない/従ってEは0ではない」
 推論3a「よってGは存在するか、存在したかである」
 結論1a「従って神は存在するかもしれない。」

となるから。変でしょうか・・・?

論理2について
 論理1と同じ、すでに神が存在しない可能性とは別に。。。
 E2が集合であることが考慮されていません。

 定義1 「存在する全てをEと置く」
 定義2 「Eの内で、自らを原因として存在する部分をE1、自らを原因とはせずに存在する部分をE2と置く」

は良いとして、推論1以降は、

 推論1a「E2が存在する原因はEの内に求めねばならず、それはE1あるいはE2内の他の存在による」
 推論2a「よってE1は、自分であるE1が存在する原因でもあり、E2が存在する原因でもある。が、E2が互いを原因として存在する可能性を排除できない。後者をE2Eと呼ぶ」
 定義3a「そこでE1を創造者・神と呼ぶ。E2を被造物と呼ぶ。E2Eを独在物と呼ぶ」
 推論3a「E1が存在しなくてもE2(E)は存在しうる」
 結論1a「従って神は存在するかもしれないが分からない」

となってしまうような。
 ま、私のは単なるチャチャ入れですので、お気になさらないようお願いします。
 何といっても、garyoさんにご紹介いただいた、ゲーデルの存在証明すらよく分からない身ですので。失礼いたしました。f(^^;

IWAKEIWAKE2007/04/22 22:40コメントありがとうございます(^^)
確かにもう少し私の中にあった前提を説明しないと、ご指摘の点で分かりにくくなってしまいますね。

時空間について。
相対論的には時間と空間は物理的に等価です。また、どちらの存在も、人間がそれが存在すると解釈する考え方を採用した場合にのみ存在します。そして、時間的に離れていることと空間的に離れていることは等価です。
小説「我輩は猫である」の作者は存在しないのでしょうか。通常の言語の意味では、「作者は存在するが2007年時点では生存していない。」と表現されるでしょう。
あなたが今「おにぎり」を作ったとします。そしておにぎりを残して部屋から出ます。そしてそのおにぎりと共に部屋に残った人は、そのおにぎりの作者は存在しないと言うでしょうか。「作者は存在するが、この部屋の中には存在していない。」と言うのではないでしょうか。
この例から、空間的隔たりと、時間的隔たりが本質的に同じものだと分かってもらえれば幸いです。物理的には、1光年の隔たりと、1年の隔たりが等価です。

このように時間と空間が等価である観点から「存在する全て」と表現されたEには、あらゆる時間におけるあらゆる場所が含まれています。(私の中では、この宇宙の外の宇宙や異なる次元領域やその他あらゆる想像可能、そして想像不可能な存在全てを意味しています。)

そして「今」という瞬間に限定して考えてみた場合でも、例えば「今」目の前にディスプレイがあると思いますが、そのディスプレイは何らかの原理によって存在しています(重力や核力や人間が知っているものも知らないものも含めてもろもろ)。そういったディスプレイを存在させている原因、あるいはその原因を今存在させている原因、これを辿っていって自らの原因によって存在している原因(ここまでくれば既に時間という在り方を超越しているものでしょうが)のことをE1と置いたのです。


次に独在物について。

これはE1とE2の線引きの仕方の問題だろうなと考えていました。
つまり、E2aとE2bが互いを原因として存在している場合、それらを合わせてひとくくりにしてE2cと呼び、E2cは己を原因として存在していると解釈してE1に含めてしまうのです。従ってE1の中には、E2の原因になっているものと、E2の原因にはならずに自分の原因にだけなっているものがあることになります。

ここのところは、「AとBが一体であるか別個のものであるかはどうやって決まるのか」という問題が絡んでくるのですが、結局AとBが別のものであるというのは人間が勝手にそう解釈することが出来るというだけの話であり、「全ては一体である」という考えを採用するか、「区分は自由に決められる」という考えを採用するかのどちらかですので、ここでは後者を採用し、E2aとE2bは一体としてE2cと捉えてE1に含めています。(全ては一体であるという考えを採用すると、言語で何かを論じるということは不可能になりますからね)


というようなことを考えていました。不親切な本文でごめんなさ~い。

neyorawaneyorawa2007/04/23 00:23おそくなり失礼しました、neyorawaです。
うーん、すごい。お二人とも。
はてなの回答の35およびその回答に、論理1に対するコメントとなりえそうなことを書いています。よろしければご覧になってみてください。

IWAKEIWAKE2007/04/23 00:46>「人間の行いに判決をくだす意志をもった存在」としての神を、なぜ多くの人が信じるのか。ここをもうすこし掘り下げたいです。


「神は存在するか」ではなく、「ある性質を持った存在をなぜ人は信じるか」が問題であれば、視点はまったく変わってきます。それは「信じるとは何か」という、人間の心理機構の話題だからです。その観点からの説明は今のところ予定していませんので、ご了承ください。

sasadasasada2007/04/23 03:17 IWAKE様、御丁寧な解説をありがとうございました。とても分かりやすかったです。
 さて、せっかくここまで来ましたので、ダメを詰めさせてください。(無論無学な素人のたわごとですので、スルー大歓迎です)

 まず、論理1の『存在』についてですが、『時間と空間が等価である観点から「存在する全て」と表現されたEには、あらゆる時間におけるあらゆる場所が含まれています』とのこと。
 私は、これを、『過去に存在したもの(Eb)、現存するもの(En)、今は無いが未来に存在する(事が決定している)もの(Ea)』の総和と解釈しました。つまり、『Eaは将来必然的に存在する』と。また、『消滅によって、存在が滅することはない。Eb,Enは存在し続ける』と解釈しました。

 ところで、この場合、時空間は無限なのでしょうか。
 空間も時間も無限であるなら、上記は矛盾しません。ただし、熱力学の法則によるエントロピーの増大が無限大になった以降も、時空間が無限に続き得ることを証明する必要を感じます。私には、「あらゆるエネルギー反応がなくなった世界で、何かが存在する。それ(のひとつ)が神だ」といわれてもピンと来ません。無学ですみません。

 逆に、空間も時間も有限だと仮定します。(その他のパターンは時空の等価性に違反するのでスルー)
 だとすれば、神が扱える創造力も知能も能力も有限であることになります。(そのせかいで一番優秀だとしても)

 えーと、僭越な言い方で恐縮ですが、Eの存在を時空間に広げた時点で、「『一般に言う神』の存在ではなく、『創造主』の存在」の証明になるがします。
 ゲーデルの存在証明を見ていても、ここが一番分からないところです。アホですみません。

 次に『独在物について』。
 ご自身でおっしゃるとおり、『結局AとBが別のものであるというのは人間が勝手にそう解釈することが出来るというだけの話』なので、『E2aとE2bは一体としてE2cと捉えてE1に含めて』しまうのは、人間による定義であり、これこそが信仰なのでは無いでしょうか。(信仰者がこの定義を選択するのは当然として) 無信仰者がE1の介在を認めないために『E2aとE2bは別のものと捉えてE2(E)に含めて』しまうことを論理的に禁止できないと『独在物E2(E)』を否定できず、困っちゃうのかな、と心配になりました。気が弱くてすみません。

 以上、門外漢のたわごとですので、世の中にはこんなアホもいるという参考にして、スルーしてください。f(^^)
 二度にわたる長文コメント、大変失礼いたしました。m(_ _)m

IWAKEIWAKE2007/04/23 22:07せっかくですのでどうぞどしどしコメントなさってください。対話は互いに理解を深め合うよい方法だと思いますから出来る限り回答していきますので。

>「『一般に言う神』の存在ではなく、『創造主』の存在」の証明になるがします。

その通りです。そして私は「一般に言う神」なるものは千差万別で、その語が何を意味しているのか特定不能だと考えています。仮に、「キリスト教でいうところの神」等と特定しようとしても、キリスト教徒が抱いている神のイメージは漠然と似たところはあっても、その実キリスト教徒の数だけ異なった神のイメージがあると思われます。「神」という言葉ほど、多くの意味で使われている単語は無いほどですから。
そこで私は、自分の論理の中で「神」を定義し、その存在を証明しました。それは、「Eを作り出した者を神と定義し」や「自らを原因として存在する部分をE1」と書いているように、創造主としての存在です。逆に言えば、「創造主」の存在しか証明していません。それ以外については一切触れていないのです。

私にはsasadaさんが「一般に言う神」という言葉で表現しようとしたものが何なのかは分かりませんが、きっと創造したということ以外の性質もたくさん持っているのでしょう。その場合例えば、「死んだ人間の生前の行いからその人間に審判を下すような性質を持つ存在はいるか?」等という風に個別に考えていかなければ、説明のしようがないように思えます。或いは、「創造主にはこれこれの性質が備わっていることを示せ」などと書くとか。ゲーデルの存在証明も、肯定的性質とは何なのかを明らかにしてもらわないと、意味があるものには思えません。究極的には肯定も否定も善も悪も無い訳ですし。

要は私は、「神はどのような性質を持っているか」は「神は存在するか」とは分けて考えないといけないと思っている訳ですね。

独在物について

それではこちらに、本文では見苦しくなりそうだから書かなかった部分も入れた、論理2の長いバージョンを書きましょう。

より厳密な論理2初め

存在する全てをEと置く。

Eの内で、自らを原因として存在する部分をE1、自らを原因とはせずに存在する部分をE2と置く。

尚このとき、Eの内のある部分EaとEbについて、EaはEbの原因であり、EbはEaの原因であるような相互依存の関係にある場合には、それらEaとEbを自らを原因として存在する一体の部分とみなしてE1に含める。
また、3つ以上の部分についても、それらが相互依存の関係にある場合には、それらを一体とみなしてE1に含める。(例えばEaはEbの原因であり、EbはEcの原因であり、EcはEaの原因である場合、その三者は一体とみなす。又、EaとEbがEcの原因であり、EcはEdの原因であり、EdはEaの原因である場合は、EbのみがE1に、他の3つはE2に含まれる。)

さて、E2が存在する原因はEの内に求めねばならず、しかもそれはE2内にはないので、必然的にE2の存在する原因はE1にある。

よってE1は、自分であるE1が存在する原因でもあり、E2が存在する原因でもある。

そこでE1を創造者・神と呼ぶ。E2を被造物と呼ぶ。

E1が存在しなければE2及びEは存在しない。

ところで、この世は完全な無ではない。

よってE=0でなく、Eは存在する。

ゆえにE1は存在する。

従って神は存在する。

より厳密な論理2終わり

sasadasasada2007/04/24 13:32 再び丁寧な解説をしていただき、ありがとうございます。m(_ _)m
 では、せっかくですので、お言葉に甘えて、もう一度。。。

 IWAKAさんのおっしゃる「E1=創造者・神」は、「苦しいときの神頼み」とかの神様のイメージでなく、純粋に「万物の創造者」を指してらっしゃるものと理解しました。それは、一神教の神かもしれず、多神教の神々かもしれず、ビッグバンから始まる未だ人の理解の及ばぬ物理法則かもしれないですね。それなら同意できます。

 あと、EをE1とE2に分けるとき、IWAKAさんのおっしゃる定義なら独在物は存在しない点は理解しました。
 しかし、その場合、Eの定義である「原始の過去から永遠の未来までの間に、この宇宙の内外に存在する(した/これからする)もの全て」について、「(E2にはE1を原因としない存在はない)」という定義を当てはめることになります。
 となると、「全ての結果(存在)には、*そうなるべき*原因がある(神はサイコロを振らない)」ことをEの定義と同じスケールで証明せねばならず、私はこれが証明されたという話を過分にして知りません。
 これが証明できるまではIWAKAさんの定義は仮説に過ぎず、それを信じることは“信仰”なのかな、と思います。

 もちろん、「全ての結果(存在)には原因があるが、そこには偶有性がある」という解釈、つまりEが存在するのはE1の“意思による必然”の産物ではなく、(例えば量子力学的な)確率を伴う結果論的存在であるとする考え方も有ると思います。
 この場合、創造者は自らの意思を持たないか、持っていてもその通りに創造できるとは限らないことになります。
 あるいは、創造するつもりの無かったものが偶然出来てしまうことも。(この場合、私の解釈では、これは独存物ですが、「創造主がいることによって出来た」という(対偶ではなく)逆の論理を許すなら被造物です)
 これなら“信仰”というよりは“(量子力学的)常識”で済ますことが出来るのかもしれませんね。

 いずれにせよ、相対性理論が検証途上に有り、量子力学もまだまだ未成熟だった時代に、この問題にとりくんだゲーデルは尊敬に値します。
 また、この難解な証明を分かりやすく解説することの出来るIWAKEさんも尊敬します。(^^)

通りすがり通りすがり2007/04/24 18:43神の存在論的証明の段階では、全ての事物の結果には原因があって~、といった証明の仕方で十分だろうね。
何故なら、事物の結果の遇有性は因果律を破るものではなく、必然であれ偶然であれ結果は結果だからね。

IWAKEIWAKE2007/04/24 19:58更なるコメント、ありがとうございます。

1 私が定義した神の性質について

神という言葉に対する定義の仕方は無数に可能であり、その中で私が自分の論理の中で採用する神の定義は、その存在の証明が私にとって可能なものである必要がありました。つまり、私が神をそのように定義したのは論理的必然性によるものではなく、私の都合によるものです。従って、神=E1などという神の定義は認めない、という人にとっては、私の論理は何の意味もありません。まぁこれは、いかなる神の定義を採用した論理でも、その定義を認めない人にとっては無意味なので仕方ありません。
次に、その定義がどの程度多くの人が抱いている神のイメージに近いかによって、その定義を採用した論理にどの程度意味があるのかが決まってきます。路傍の石を神と定義しその存在を証明してもあまり意味は無いでしょうから。さて、私の定義した神は次のような性質を持っています。

「我は我たるもの・我は在りて在るもの(I am that I AM)」と宣言する資格がある。(自らを原因として存在している訳ですから)

「我は万物の創造主なり」と宣言する資格がある。(存在する全てを作った訳ですから)

それなりに、いわゆる神のイメージに近いと思いませんか?
そしてまた、私の定義した神はこれら以外の性質については全く不明となっています(一切言及していない訳ですから)。神頼みに応えてくれるかどうかも完全に不明です(笑)

そして、このような性質を持つ存在が存在することを示した私の論理がどの程度の意味を持つのか、それは読む人の主観に委ねられているわけですね。


2 全ての結果に原因は必ずあるのか、について

この問題は、次の一文を論理2の3行目に入れることで解決しましょう。

「尚、何らの原因によらず存在しているものがEの内にあった場合、それは自らを原因として存在しているとみなしE1に含める」


これでいずれの場合にも対応可能だと思いますが、せっかくですので偶有性について少し付け加えますと、私は多世界解釈を採用しておりまして、偶然は存在しないと思っており、Eは全ての多世界を含んでおり、量子的にどんな観測が得られようとその全ての結果に原因があると想定していました。もちろん多世界解釈は証明されていませんので、上の一文が加わったほうが安心して論理2を読めますね。


論理2(ver.3)初め

存在する全てをEと置く。

Eの内で、自らを原因として存在する部分をE1、自らを原因とはせずに存在する部分をE2と置く。

尚、何らの原因によらず存在しているものがEの内にあった場合、それは自らを原因として存在しているとみなしE1に含める。

またこのとき、Eの内のある部分EaとEbについて、EaはEbの原因であり、EbはEaの原因であるような相互依存の関係にある場合には、それらEaとEbを自らを原因として存在する一体の部分とみなしてE1に含める。
また、3つ以上の部分についても、それらが相互依存の関係にある場合には、それらを一体とみなしてE1に含める。(例えばEaはEbの原因であり、EbはEcの原因であり、EcはEaの原因である場合、その三者は一体とみなす。又、EaとEbがEcの原因であり、EcはEdの原因であり、EdはEaの原因である場合は、EbのみがE1に、他の3つはE2に含まれる。)

さて、E2が存在する原因はEの内に求めねばならず、しかもそれはE2内にはないので、必然的にE2の存在する原因はE1にある。

よってE1は、自分であるE1が存在する原因でもあり、E2が存在する原因でもある。

そこでE1を創造者・神と呼ぶ。E2を被造物と呼ぶ。

E1が存在しなければE2及びEは存在しない。

ところで、この世は完全な無ではない。

よってE=0でなく、Eは存在する。

ゆえにE1は存在する。

従って神は存在する。

論理2(ver.3)終わり

sasadasasada2007/04/25 10:12 多少、私の理解の範囲外に残った疑問もありますが、そろそろお開きにさせていただこうと思います。無学な私の為に、余りお時間をいただくのも僭越ですし。

 私は、IWAKIさんのおっしゃる神は「万物を創造したナニモノか(単複不明)」であり、たとえば、ビッグバンから始まる未だ人の理解が完全には及ばぬ物理法則かもしれず、そうではないかもしれない、具体的な事象としては証明も反証もできない存在だと理解しました。

 たとえば、Ea,Ebが互いの存在に寄って存在する場合、例を挙げるなら、ビックバンのときに大量の粒子(Ea)と反粒子(Eb)が対生成したり、いまでも巨大重力場の近くで電子と反電子が対生成している、とされてる部分について、これらの粒子のペアがE1に含まれ『粒子の対生成は“神=万物の創造者(の形態の一つ)”である』と理解しました。(証明も反証も私には不能ですが)

 ちなみに、私は『その生成過程には(量子力学的な)偶然が作用している』と思いますし、IWAKEさんは『多次元世界の概念の導入により偶然が作用する部分は無くなる』と解釈されています。この点も、現在の科学では、証明も反証もできていない部分でしょう。
 私は、この偶然の産物の解決に独在物を導入しようとしましたが、IWAKIさんのおっしゃるように「尚、何らの原因によらず存在しているものがEの内にあった場合、それは自らを原因として存在しているとみなしE1に含める」とするならば、偶然が作用しているかどうかは無関係になります。つまり、私の言う独在物(偶然の産物)は“神=万物の創造者(の形態の一つ)”という解釈です。

 これで、お互いの論点は整理されたと思います。
 また、上記の解釈なら、私の“常識”は満足します。
 おかげさまで、ここ数日の胸のつかえが取れました。無学な私に粘り強くご教授くださったIWAKIさんに感謝します。本当にありがとうございました。m(_ _)m

IWAKEIWAKE2007/04/25 21:28胸のつかえが取れたところに大変申し訳無いのですが、少し誤解がありそうですので説明させてください。尚、全ての誤解の原因は、私が一般的な考え方から非常にはずれた考え方をしていることと、それを説明するためには充分な長さの文章が必要なのに、それをつい省略してしまうことにあります。コメント欄まで不親切な文章でごめんなさい。

私が原因という言葉でイメージしている事柄について

通常、手を叩いて音を出した場合、その音が出た原因は手を叩いたことだ、という風に「原因」という言葉を使うと思います。しかし私は論理の中で、「原因」という言葉を「あるものが存在するために必要な全ての要素」、という意味で使っています。もちろん、原因が複数ある場合もあるでしょうから、その場合一つの要素については「原因」の一部、などと考え、普通に「原因」と言った場合には、「複数の原因全てを集めた集合」を指しています。
 手を叩いて音が出た場合、その音が存在する原因には、もちろん手を叩いた事があげられますが、それ以外にもたくさんの原因があります。例えば空気(音を伝える媒介)が存在したこと、空気分子が音を伝えるような性質を持つような法則が働いていること、誰かが手を叩こうという意思をもったこと、その誰かがそこに存在するために必要だった全ての物事、等等。これらの他にも私が想像できないような要素も全てあわせて、その音が出た「原因」と呼んでいます。
 つまり、この宇宙に存在する物質で「原因無しで」存在しているものはありません。ビッグバンという要素が無くても、或いは宇宙に働いている法則という要素が無くても存在していたと思われるものは無いからです。そこで「基本的には」全ての物質はE2に含まれると考えられます。粒子の生成に量子的偶然が働くという見方の場合、粒子の生成の原因の一つにはビッグバンはあるはずなので粒子はE2です。そしてその時働いた「偶然」というものが、ビッグバンにも依存せず、宇宙の法則にも依存せず、その他一切のものにも依存せずただ自らのみに依存して存在しているというのなら、その「偶然」自体はE1に含まれます。(しかしその「偶然」が存在するためには少なくても粒子を生成するに充分なエネルギーが必要な気がしますし、そのエネルギーが存在する原因の一つにはビッグバンがあるはずで、となるとその「偶然」の存在はE2でしかないかもしれません)。
 ではビッグバンの原因は何でしょうか。或いは宇宙がこのような性質を持って存在するに至った原因は何でしょうか。その原因が存在するために必要だった全ての要素は何でしょうか。それらは今宇宙に働いている法則が存在するために必要だった全ての要素の原因とは別物でしょうか。それらをどこまでも辿ると一つの原因に行き着くのでしょうか。それとも複数の異なる根本原因に行き着くのでしょうか。或いは原因を辿る作業は永遠に続くのでしょうか。
 私の論理において、これらの問いへの回答は不要です。なぜなら、それらがどこまで続くものだとしても、とにかくこれ以上原因を遡れないというところまでいったものをE1と定義しているからです。無限に続くなら、とりあえずビッグバンから先全部をひとくくりにしてE1とすると規定しましょうか。
 さて、私がこのように考えているのならば、「独存物」や「原因なしに存在する物」などあるはずがないと私は主張しなければならない、と思われるかもしれません。しかし、そう言い切ることは出来ないと思います。この宇宙の外に、そしてなおかつこの宇宙や他の宇宙やそのほか様々な可能性の様々なあり方のどんな体系にも属さず、しかもそれら全てを存在させているどんな原因群にもよらず、ただ自らの原理のみによって存在している存在。或いは相手を存在させるのに必要充分な要素だけを持つ存在同士のペア。正直に言って、こういった存在がどんなものか私にはまったく検討もつきませんし、想像も出来ません。仮に存在してもそれらは決して他の如何なる体系の存在からも観測されません。(観測されると観測した存在に影響を与えるため、何かの原因になってしまい、それは独在物ではなく普通に規定されるところのE1になってしまいますから)。そんなものがあるとはとても思えないほどです。しかし、私がまったく想像も出来ないからといって、そういったものが決して存在しないと言うことは出来ないのです。そこで私としては、「万万が一そういうものがあった場合は、そうしないと証明がすっきりいきませんからとりあえずE1に含めることにさせてください」というような一文を入れることにしたわけです。これをE1に含めても、規定されるE1としての性質は特に影響を受けませんから。
また、原因無しに存在する存在についても、それが存在するのに必要な全ての要素が0でありながら存在しているわけで、普通に考えると何だか定義上ありえない気もしますが、完全になんらの要素にもよらずに自分自身にもよらずに存在するということを私が思い描けないからといって、絶対にそういうものがないと言うことも出来ないだろうとも思うのです。
 ですから昨日
>多世界解釈は証明されていませんので、上の一文が加わったほうが安心して論理2を読めますね。
と書きましたけど、実は私の見方では多世界だろうと何だろうとこの宇宙内での量子的偶然はE2であるので、その一文によって安心して読めるようになるのは上のようなことを考えている私のような人間だけなのかもしれません。ただあの一文によって、私の考えているようなことを説明しなくても、コペンハーゲン解釈や多世界解釈かによらず幅広い考え方の人にとって論理2の証明が有効になるという効果は期待しました。

 また、なぜ『「基本的には」全ての物質はE2に含まれる』と、「基本的には」をつけたかといいますと、究極の原因が明らかでない以上、その究極の原因がこの宇宙の物質をその原因として持っている可能性を否定できないためです。つまり、例えば宇宙が膨張と収縮を繰り返しまったく同じ歴史を無限に紡ぐ環のような構造になっている場合、宇宙内の全てのものは宇宙内の全てのものの原因になっていると言えます。そして宇宙が外部になんらの原因も持っていない場合、この宇宙は全体として独在物であると言えます。するとこれはE1であり、存在する全てがこの宇宙だけであるならE=E1となります。こういった場合も考え、存在証明には直接関係のない論理3も書いておきました。


・・・これで説明は終わりなのですが、なんだかsasadaさんが聞きたくもない話を無理やり聞かせているような気もしてきました。殆どの人にとってどうでもいい事柄に関する私の勝手な自己満足用理論の話だと思って、面倒でしたら軽く聞き流してやってください。
sasadaさんが的確にコメントをしてくださったおかげで、不十分だった点の多くについて説明ができました。今後ここを読む人の中にも、それが参考になる人が居ると思います。どうもありがとうございました。
 最後に、科学的に証明されていないことを信じるのは信仰だというような話がありましたが、私はある意味科学も、常識も、殆ど全てのものが信仰だと思っています。その辺を意識して書いた記事がありますので、よろしければどうぞ。

http://iwake.g.hatena.ne.jp/IWAKE/20061102 人間が死ぬという考えは錯覚という記事
http://iwake.g.hatena.ne.jp/IWAKE/20070219 現実と幻覚の本質は同じという記事

Y.M.Y.M.2007/05/29 19:29はじめまして
ゲーデルの神の存在証明なるものを初めて目にしてここに来たんですが、
IWAKEさんの証明はゲーデルの証明とは独立ですよね?
ゲーデル流の神の定義とマッチするかどうかわからないのですが、
IWAKEさんの集合EにあえてゲーデルのPなるものを想定すると
「Eの要素である」、「E1に含まれる」、「神という要素である」、「E2に含まれない」、「人に含まれない」、「地球という要素ではない」、、、「Eの全要素の原因である」、「E2の結果ではない」、、、「Eの要素でありかつE1の要素である」、、、
のような性質をふくむと考えればいいのでしょうか?
(Pの要素は非可算無限個かもしれませんが。)

IWAKEIWAKE2007/05/29 22:43こんにちは。

>IWAKEさんの証明はゲーデルの証明とは独立ですよね?
その通りです。私が勝手に考えた説明なので、ゲーデルの証明とは何の関係もありません。

>IWAKEさんの集合EにあえてゲーデルのPなるものを想定すると
P(肯定的性質)がどういうものなのか彼は詳しく定義していないので正確には分かりませんが、私の理解では

「Eの要素である」、「E1の要素である」、「E2の要素であるかは不明」(被造物の中に肯定的性質を持つものがあるかどうか判断しかねるため)、「人の要素であるか不明」(人が肯定的性質を一切持たないのか判断しかねるため)、「Eの全要素の原因とは限らない」(肯定的性質によらずに存在している要素があるかもしれないため)、、、

のようになるのではないでしょうか。
結局Pが何なのか、そしてPによって定義される神が何であるのかが明らかでない以上、判断はできないように思います。
おそらく、彼の定義と私の定義はあまりマッチしないでしょう。
無理に対応させず、別個に考えてみるのがいいのではないでしょうか。

Y.M.Y.M.2007/05/30 18:22ご返答ありがとうございます。

言葉足らずで意図が伝わらなかったところがあると思います。すみません。

>P(肯定的性質)がどういうものなのか彼は詳しく定義していない
>Pが何なのか、そしてPによって定義される神が何であるのか
ゲーデルが具体的な神をどう想定していたかはこの際考慮してません。
私はゲーデルの証明あるいはその公理系を「利用」したいだけであり、
その中の神の制限についてはゲーデルが示した5つの公理しか考えてません。

実際考える系が{0,1}集合であっても適用できるんじゃないでしょうか。例えば
G=「0である」
P:「0である」,「1でない」,「0または1である」等(Gからの帰結の全て)
もしここに「0は1より偉大である」という要素間の関係が定義されていれば、
「最も偉大である」も肯定的性質になるでしょう。
もちろんG=「1である」というケースも別の世界あるいは定義としてありえます。
G=「0または1である」の場合はPを構成できずありえないと思います。
この場合G(0)もG(1)も真ですが、例えば「0である」という性質を考えて
P(¬「0である」)⇔¬P(「0である」)
よりP(「0である」)かP(¬「0である」)のどちらかは必ず真でなければなりません。
言い換えれば「0である」か「0でない」かのどちらかは肯定的性質でなければなりません。
それが「0である」の場合、神である1は「0である」という肯定的性質を持たなくなり、
もう一つの場合も、0が神として困ることになります。

ゲーデルの証明の中の神は上の例も含むような形式上のものとして扱っています。
現実の創造主たる神はゲーデルの神と考え得るかどうか、ということです。

>被造物の中に肯定的性質を持つものがあるかどうか判断しかねる
神でないものが肯定的性質のいくつかを持つことは構いません。
全ての要素のうち、肯定的性質を全て持つもの=神、全ては持たないもの=その他の要素、です。
例えば「Eの要素である」はIWAKIさんの系では「存在する」とも同値であり、全存在が等しく持つ肯定的性質の一つといえるでしょうし、ゲーデルの神の要請でもあります。
「E2の要素でない」をPに加えたのは、公理から「E2の要素である」または「E2の要素でない」のどちらかは肯定的性質であり、「神はE2の要素である」は「神はE1の要素である」と矛盾(E1∧E2={}より)するためです。

>人が肯定的性質を一切持たないのか判断しかねる
人である存在は肯定的性質をいくつか持つはずですし、前述のようにそれは問題とはなりません。
人はE2に含まれると考えて「人に含まれない」を加えました。
我々全てがE1に含まれる繰り返しの世界だとしたらこれはふさわしくないかもしれません。

>肯定的性質(を全て持つ存在)によらずに存在している要素があるかもしれない
「Eの全要素の原因である」は
>「我は万物の創造主なり」と宣言する資格
を単純に与えるわけですが、
我々の創造主から派生する我々の世界の存在物をEのサブセットE’として
「E’の全要素の原因である」
ではどうですか?

結局のところ、Pの構築の上で避けられない矛盾があるかどうかが知りたいわけです。

IWAKEIWAKE2007/05/30 20:30なるほど。そういうことであれば、人や地球がE1に含まれるかどうかは別として、

Pは

「Eの要素である」、「E1の要素である」、「神という要素である」、「E2に含まれない」、「Eの全要素の原因である」

となると思います。さらに、Eの全要素の原因であるためにはE1の全要素を持たなければならないため、E1はPに含まれることになるでしょう。


>結局のところ、Pの構築の上で避けられない矛盾があるかどうか

属性 「全てを内包する」 について考えてみると、これを肯定するもののほうが否定するものより偉大であるように思われます。Gの全てを内包しつつG以外の全ても内包している訳ですから。すると結局G=E、即ち全ては神である、神で無いものは存在しない、と言うしかなくなりそうな気がします。するとこれは神の偉大さを讃えはしますが「存在する全てを神と定義する。よって神は存在する」という、証明としては無意味なものになってしまいます。

また、別のある属性 「大阪より東京に近い」 などについて、どのように解釈していくかが問題になりそうです。

このような問題を避けるため、私の証明では「存在する」という単純な属性についてのみ考えました。

Y.M.Y.M.2007/05/30 22:36ゲーデルの神とみなせることの恩恵は存在の証明というよりは
考えている神が論理的に矛盾無く扱えるものであることが保障されることにもあると思います。

おっしゃるとおり属性についてはきちんと定義されたもののみを使わないといけないでしょうね。
「要素○○である。」や「部分集合○○に含まれる。」は集合論的に考えて自明に定義されると思いますが、
「○○より偉大である」などは要素間のある順序関係としてきっちり決められていないといけないでしょう。
例えば「xがyの原因であるときxはyより偉大である」とか。言葉を変えただけですが。

ところで神が複数存在したら(Gが複数の要素をもったら)Pに矛盾が出ると思うんです。
なぜなら神g1とg2がともにGに含まれるとして、Pは「g1である」と「g2である」を含まなければならないが、神g1は「g2である」という肯定的性質を持たない。
この場合はこの創造主はゲーデルの神とはみなせないというだけで、ゲーデルが設定した条件がやはり強すぎるのかもしれません。
あるいは個別の存在物の部分集合も全存在物Eには要素として含まれると考えて、「全創造主の集合」という一つの要素をゲーデルの神とみなせばよいのかもしれません。
{0,1}集合で例えれば{{},{0},{1},{0,1}}というべき集合を改めて扱うことになります。これなら神を{0,1}ともできそうです。

ここで思いついたのですが、素粒子の状態の集合を使ってその部分集合として全存在物の集合を構成できないでしょうか。素粒子は「存在物の不可分な構成要素」という素朴な定義です。

Y.M.Y.M.2007/05/30 22:50すみません。ちょっと訂正します。

>その部分集合として全存在物の集合を
その部分集合の集合として全存在物の集合を

IWAKEIWAKE2007/05/31 04:29私も神が複数の要素により構成されていたら(神が分割可能であったなら)、矛盾が生じると思います。ゲーデルの神が矛盾しないためにはE1が一体でなければならず、その解釈を採用する人にとってのみ有効な存在証明なのでしょう。そして単一の原因からは単一の結果しか生まれず、それはつまり「唯一の神の他に存在するもの無し」ということになってしまいそうです。(ゲーデルはそう言いたかったのかもしれませんが)(ついでに言うと私はそう考えていますが。何かと何かが別個のものであると考える利便性はあっても必然性はないため)
意味のある存在証明の為には、これは確かに強すぎる要請に思えます。

>素粒子は「存在物の不可分な構成要素」

素粒子の振る舞いが従っているところの物理法則を、素粒子自身を使って表現するのが難しいかもしれませんね。また、素粒子を基本構成要素として考える場合は、素粒子が無い世界や、素粒子が出来る前・宇宙はどのように出来たのか、などについては取り扱えないでしょう。

Y.M.Y.M.2007/05/31 17:16集合論上の「要素」と物理的な「要素」とは別です。神は物理的に分割可能だとしても集合の一つの要素とします。
存在物の集合の取り方を変えても世界が変わるわけではありません。

>単一の原因からは単一の結果しか生まれず
例えば一つの十分なエネルギーをもった光子から電子と陽電子あるいは陽子と反陽子など多くのものが生まれ得ると思います。神が一つの光子であったと思ってるわけではありませんが。

>素粒子は「存在物の不可分な構成要素」
ここまでの議論で存在物の内容が具体的でないので、素粒子の定義も具体的なものではありません。
私はいわゆる唯物論者に近いので存在物には物質あるいはエネルギーのようなものしか含まれないと考えていますが、
物理法則も「存在物」に含めるなら物理法則を切り分けた一つ一つの法則が素粒子と定義されるでしょう。
「存在物」が無数に分割できるものでない限りは有効な定義だと思います。
ちなみに私は存在物は有限個数だとも思って(信仰して)ます。

>「唯一の神の他に存在するもの無し」
もし「世界が分割できない一個のものである」と考えたとしても上の定義からの否定はしません。

IWAKEIWAKE2007/05/31 20:171.存在物は分割可能だと仮定する。
2.存在物はどこまでも細かく分割し続けることは出来ず、分割できる限界の細かさがあると仮定する。
3.その限界まで細かくされた破片を、素粒子と定義する。

このような条件の下で、有意義な分割方法を用いて考えていけば、有意義な理論が作れるかもしれませんね。

>単一の原因からは単一の結果しか生まれず

ここは今の話題と直接関係ないので無視して頂いても構わないのですが、少し説明します。
私は原因という言葉を「あるものが存在するために必要な全てのもの」という意味で使っています。つまり光子のみがあれば電子と陽電子が存在できるというわけではなく、他にも様々な物理法則やそれを維持する力が必要なはずです。1グラムのアルミがあるだけでは1円玉は出来ず、それを作る機械や設計する人間やそれらの機械や人間を存在させるに至った全ての原因がなければならないはずです。また、時間を一定方向に流して観測する必然性もないことから、光子と電子陽電子のペアのどちらがどちらの原因かもわかりません。私の見方では、原因と結果の線引きは非常に特定しにくいということですね。ただし、そういった様々な要素を含んでいるようなある存在物を存在させるに至った「原因の総体」を単一だととらえる見方があるなら、その原因から来る「結果の総体」も単一だととらえることになるだろうという意味で
>単一の原因からは単一の結果しか生まれず
と書きました。

関係無いのですが、Y.M.さんが唯物論者に近いのであれば、私の一番古いエントリの「意識が消滅するという仮定が無謀な件 」から始まる話も楽しんで頂けるかもしれません。

IWAKEIWAKE2007/05/31 20:34ところで、
>「全創造主の集合」という一つの要素をゲーデルの神とみなせばよい

というのは、あらゆる属性についてそれかそれの否定が肯定的性質を持つという公理は無しにして、それ以外の公理は残して考えるということですか?

又、素粒子の部分集合の集合として全存在物の集合を構成するというのも、一体何を目的とした理論なのか分からないので、具体的にイメージ出来ないでいます。よろしければ今何をメインテーマとして話を進めたいかを示してくれませんか。

Y.M.Y.M.2007/05/31 21:01>時間を一定方向に流して観測する必然性もない
いわゆる物理の因果律でいうところの原因と結果を指しているわけではないということでしょうか。
>あるものが存在するために必要な全てのもの
例えば
もし「私」の存在が世界の存在に必要不可欠だったとしたら「私」も世界が存在する原因(=神)の一部分
という論理でよろしいですか?

>唯物論者に近い
もちろん割と信じているという程度なので、それ以外を否定しているわけではありません。正確には不可知論者といえるでしょうか?

この議論をふっかける上で過去のエントリはある程度拝見させてもらいました。
知り得ないことがあると認識した上で、何が知り得て何が知り得ないかを論理的に探求しようとする姿勢に共感しております。
この神の議論については、「存在するもの全て」という概念を持ち出したことに感じ入りました。存在するものの原因は存在するものの中に含まれるという前提に立てば、根本原因の存在を否定することはできないでしょう。

IWAKEIWAKE2007/05/31 21:18>いわゆる物理の因果律でいうところの原因と結果を指しているわけではないということでしょうか。
はい。通常の意味より広い意味で原因と言う言葉を使っています。このコメントで説明しているような感じです。
http://iwake.g.hatena.ne.jp/IWAKE/20070422#c1177504088

>もし「私」の存在が世界の存在に必要不可欠だったとしたら「私」も世界が存在する原因(=神)の一部分

私の証明の定義では、神の一部であるためにはその「私」を存在させるために必要な要素が「私」自身のみである場合だけですね。そうでないなら、何かの原因ではあるけれど自分自身を原因として存在はしていないのでE2(被造物)になります。全てが全ての原因である共依存関係である場合(E=E1)を除けば。

Y.M.Y.M.2007/05/31 21:22>「全創造主の集合」という一つの要素をゲーデルの神とみなせばよい
神は「全創造主の集合」とします。
Pは例えば
「「全創造主の集合」という存在物である」、「「ある特定の創造主」という存在物ではない」、「「ある特定の創造主」という存在物を含む」、、、
という感じで公理に矛盾なく構成できると思います。ポイントは存在物という集合のとりかたを都合のいいように数学的に変えたということです。

>素粒子の部分集合の集合として全存在物の集合を構成する。
現代物理学の立場で例を挙げると、素粒子qの状態を時空上の座標pや内部自由度sで指定し、
{q1(p1,s1)}は一つの素粒子という存在物、
{q1(p1,s1),q2(p2,s2)}は二つの素粒子からなる存在物
のように存在物を定義します。
その任意の組み合わせが存在するとは限らないので、存在するといえるものだけを存在物に含めます。

メインテーマですが、論理を進める上で矛盾が生じ得るか得ないかという疑問です。
IWAKEさんはIWAKEさんの神の無矛盾性を証明出来ますか?
ということです。(無限がからむとやっかいな問題が出るので存在物が有限に留まることを個人的に期待しているのですが。)

IWAKEIWAKE2007/05/31 21:38>素粒子の部分集合の集合として全存在物の集合を構成する。
今のところ、その方法は物理状態の記述には有効かもしれないな、という感想です。その方法を用いて何かを記述する利点は私には分かりませんが、何かあるかもしれません。

私は自分の定義した神の無矛盾性を証明しようとしたことはありません。だれかが矛盾を疑う指摘をしてくれれば考えようと思っていた程度です。ところで、私のE1という神の定義は、まさに「全創造主の集合」です。Y.M. さんがこの定義の神の無矛盾性を証明して下されば、大変うれしく思います。

Y.M.Y.M.2007/05/31 21:57>この定義の神の無矛盾性を証明して下されば
私自身アマチェアにすぎないのでそう大それたことは出来そうにないのですが...

素粒子の例を持ち出したのは現代物理学への期待ですね。
例えば物理で使う「初期条件」といった概念が神を表現し得るかどうか。ここにはいわゆる因果律の意味での原因を想定しています。
あるいはもっと広い意味での素粒子としては先に出てきた法則のようなものもありますが、存在物という以上それを構成する単位があるだろうという仮定に立った上で、物事をより整理して考えられないかという試みです。

IWAKEIWAKE2007/05/31 22:11物理学はビッグバンの特異点を超えて考えることは出来ませんが、初期条件を考えるのも楽しいですよね。初期条件における粒子の振る舞いの中に、現在の宇宙の持つ全ての要素が(私が今これを考えるているというようなものも含めて)潜在的に内在しているのか。初期条件はどこから来たのか・・・

物事をより分かりやすく表現できるような体系を考えられるといいですね。

IWAKEIWAKE2007/05/31 22:22蛇足かもしれませんが、参考までに昨日考えたゲーデルの公理を採用すると困りそうな質問を紹介します。

属性「存在が無限に広大である」。肯定なら、神は万物を内包するので存在証明の意味が無くなる。否定なら神は大したこと無い。
属性「現在の人間の知力でその存在を言語で証明することができる」。肯定なら神は大したこと無い。否定なら存在証明不可。
属性「存在するという概念を超越しているため、存在するかどうかを論じることが不可能」。肯定なら存在証明不可。否定なら神は大したこと無い。

Y.M.Y.M.2007/05/31 22:40>初期条件はどこから来たのか・・・
それがE1に含まれるとすると「自ずからそこにあった」ということですよね。私はそれでもいいんじゃないかとも思っているわけです。

>神は大したこと無い。
結局、神が偉大かどうかなんて決めなくて良いと思うのです。ある人が考える「偉大さ」は他の人と違うでしょうし、所詮人の価値観に過ぎません。
IWAKEさんの論理では「原因であること」が最大の基準なのでそれに従ええばよいと思います。

ところで私としては、物理法則やエネルギーは物質が持つ性質であり、法則それ自身は存在物ではないという解釈も考えています。ですから物質それ自体が他の何者にもよらず他の物質の原因たり得ると考えています。前述の光子の例です。
あるいは、「法則は我々物質が存在することにより生じている。」と言えるかも知れません。どうやって生じているかは説明できませんが、それは別問題です。

IWAKEIWAKE2007/05/31 23:06>結局、神が偉大かどうかなんて
神の存在証明をしようとする場合、どの程度多くの人が神と認めるものの存在を証明するかによって、その存在証明の価値が変わってきます。以前のコメントでも書いたのですが、路傍の石を神と定義しその存在を証明してもほとんど意味がないのです。理想的には万人が神と認めるものの存在を証明できればいいのですが、そうでなくとも、なるべく多くの人が認めるものであるほどその証明の意味は大きくなります。従って、誰も神と認めない矮小な存在が存在することを証明しても仕方ないので、これから存在を証明しようとしているところの神が大したことないということになるのは大問題です。

初期条件が他の何者にもよらず自らのみを原因として生じた、初期条件を発生させるような何らかの「場」や「要素」(超時間や超物質)も何もなく、完全なる「無」から「有」が生じたということですか。それは私の感覚では、今目の前で無からビッグバンが起こってもいいというような、何の秩序もない状況に思えます。もちろんそう考えるとしっくりくるのであればその考えを採用されればいいのですが、私には無から有が生じるのはちょっと想像できません。

Y.M.Y.M.2007/06/01 07:03>結局、神が偉大かどうかなんて
言葉が乱暴だったかもしれません。そもそもゲーデルの公理は「偉大さ」について具体的な形で規定していないということです。
今はIWAKEさんの論理に従って議論しているので、「神は最も偉大である」としたら「何かの原因であること」や「存在すること」に矛盾するような「偉大さ」を定義することは許されないはずです。

>何らかの「場」や「要素」(超時間や超物質)
素粒子という言葉が具体的なイメージを与えてしまうのかもしれませんが、私は現在の標準理論で定められている物が必ずしも「素粒子」であると考えているわけではありません。それらはもっと沢山ありえるし、もっと分割できるかもしれないし、宇宙の状況によっては性質の変化も(いわゆる宇宙の相転移)するだろうと考えています。時空の性質についても宇宙の状況によって変わるだろうと思います。

>完全なる「無」から「有」が生じたということですか。
「無」とはなんでしょうか?少なくとも我々の周りの時空は「存在物」で満ちていると思います。
例えば量子論でいう「真空状態」は必ずしも物質が一つもない状態として定義される訳ではありません。準安定な「真空状態」は様々な状態に変化する可能性を持っています。ビッグバン仮説でもそういう「真空状態」から始まったという説もあります。(Wikipediaの”宇宙のインフレーション”に解説あり)
物質世界の「外部」に時空があることを前提とする必要はないと思います。空間が無いなら外部という言葉はもはや意味を持ちませんが。

始状態は一つの「真空状態」であるかもしれないしそうでないかもしれませんが、E1であることの帰結として他の何者にもよらず存在していたというだけです。
IWAKEさんは”聖火の同一性とはなんだったのか”で物理状態が変わらなかったら時間が流れないという可能性を考えてらっしゃいましたよね。
それは物質の変化の結果として時間あるいは時空が生じるということではないでしょうか?
時空は「神」の自発的な変化によって「初め」に生まれた。その時空上の現在の地球の周りで宇宙内部の物理法則が人類によっていくつか検証されているにすぎないというような感じの仮説です。
自発的な変化はランダムに起こったのかもしれませんし、起こりうる全てが多世界で起こったのかも知れません。

短くまとめると、
「原初に」秩序を備えた何者かがあらかじめ実在し、「後に」それが現在の形に変化した。我々の周りの時空や物理法則はその秩序に従って生じている。
納得いきませんか?

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