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とらっくばっく

2006-11-02意識が消滅するという仮定が無謀な件

[]意識が消滅するという仮定が無謀な件

参照 d:id:fromdusktildawn:20061101 おとぎ話が人を鬱と自殺に追い込む。おとぎ話をはぎ取ると絶望回路と無気力回路が作動する。



 まず、意識が消滅し得ると考える為には、意識の存在は脳に依存していると考えなければならない。なぜなら、

「意識の本体は脳にはなく、脳はただの送受信装置であり、どこか非物質的な領域にある意識の本体の物質世界での媒体に過ぎない」

という考えを採用するなら、意識が消滅すると考えることは難しくなるので。


 さて、この

「意識の本体は脳にある」

という考え、すなわち脳の物質的な状態の中に人格記憶を含む意識のあらゆる情報が含まれているという考えを、根拠は無いけれど採用してみる。そうすると、世界を矛盾無く説明するために次のような考えも採用しなければならなくなる。

宇宙がこのような性質を持って生成する可能性は非常に低い。しかしその可能性の低さ以上に多くの宇宙が生まれ、その中の一つにたまたまこのような性質を持った宇宙があった。」

この考えの中には、さまざまな性質を持つ宇宙無限にたくさん生成されている、という考えが含まれている。

 ではここで、大変大きいが有限である実数m、nを用いて、一つの宇宙の開闢から終焉までに、人間の生きている状態の脳を再現できる技術を持った文明が誕生する確率を10^-mとおく。また、その文明が再現した脳のうちの一つが、死ぬ瞬間のあなたの脳の状態とまったく同じである確率を10^-nとおく。すると

宇宙が10^(m+n)個生成されるたびに、あなた(の意識)は復活する。

宇宙無限に生成されるので、∞/10^(m+n)=∞ 回、あなた(の意識)は復活する。

 もちろん、復活した際の環境は様々であろうが、あなたが死んだ時の周りの世界と連続しているように感じるよう配慮された状況で復活する場合も、∞回の中には必ずある。(しかも∞回ある)

 その際あなたは、自分が死んでから何億年、何兆年、あるいは何か別の隔たりを表す多くの単位を経て、自分が生きていたのとはまったく別の宇宙で再び意識を現したことに気付かない。それは、交通事故で意識不明になり、何十年も眠り続けた人が意識を回復した際、自分は事故の翌日に目を醒ましたと感じるようなものだ。自分は今にも死にそうだと思っていたのに、なぜ無事なのだろうと思うだろう。

 ただしあなた以外の人にとっては、あなたは死んだ瞬間からもの言わぬ死体となり、あなたの意識は永遠に失われたように見えるだろう。


 さてこれはどういうことであろうか。どれほど可能性の低い事象であろうと、無限回の試行があれば無限回起こるというなら、あなたが死ぬ瞬間までの記憶が同じでありながら、その後の環境が違うあなたの意識が無限存在するということであろうか。

 さらにこの意識の環境移行は死の瞬間に限らず、いつでも起こりうる。むしろ、あらゆる瞬間においてあらゆる環境移行していることになる。

 その自覚が無いあなたの意識は、たまたま一度も環境移行を経験せずに数十年を過ごした類稀なるあなたの意識なのだろうか。1プランク秒(10^-43秒)毎に意識の環境移行無限の方向へ行われるというのに。

 確率的には、あなたの意識はすでに無数の環境移行を繰り返している公算が高い。世界が30秒前に作られたどころか、あなたの意識が最後に再生されたのが1秒前より古いという可能性も1/∞=0だ。

 これではあなたの意識とはいったい何なのか。脳が死ぬと意識が永久に消滅するどころの話ではない。今意識があると考える事自体、まったくの事実誤認ではないのか。


「意識の本体は脳にある」という考えを採用しつつ、このような状態を否定するには、宇宙が生成される回数<<10^(m+n)である必要がある。しかし本当に、それだけの試行回数でこのパラメータを持ったこの宇宙偶然に生成されるのだろうか。そもそも宇宙の生成回数に限界があると考える根拠もない。

 するとやはり、脳に本体があろうとなかろうと、意識が消滅するという仮定を採用するのは、無謀なのではないだろうか。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/03 20:33ども~。

私の3Dコピーを作成したとします。
全ての原子配列を忠実にコピーしたので、姿形だけでなく、脳や神経のシナプス結合まで含めて、完全に一緒です。
なので、記憶も完全に一緒です。

なので、そのコピーは自分がオリジナルだとしか思えません。

このとき、コピーが殴られても、私は痛くありません。
私が殴られても、コピーは痛くありません。

従って、全てが完全に一致するにもかかわらず、コピーと私は別人です。


別の宇宙に、私と全く同じ原子配列の人間がいたとしても、それは、私のコピーでしかありません。
なぜなら、その人が殴られても、私は痛くないし、私が殴られても、その人は痛くないからです。


なので、私が死んだあと、別の宇宙で、私と全く原子配列が同じ人間がどこかの宇宙に生まれたとしても、それは、私とは、全く関係有りません。


という議論についてはどう思いますか?

IWAKEIWAKE2006/11/03 23:24こんにちは~。

それは、

「2005年の私が殴られても、今の私は痛くありません。
今の私が殴られても、2005年の私は痛くありません。

従って、ある程度の共通する情報は持ちながらも、2005年の私と今の私は別人であり、2005年の私と今の私とは、全く関係有りません。」

というのと同じ主張だと思います。この解釈だと、つまるところ1プランク秒前の私も1プランク秒後の私も今の私とは別人で、私は今この瞬間だけの私を私と認める、ということになります。

従って、その主張をする人は、自己というものを刹那の瞬間だけに限定したものとして定義するしかなく、自己というものと継続や存続等という概念とは関係ないものとなり、結果私が死ぬなどということはあり得ない事になります。

この解釈はこれでアリだと思いますが、通常我々は自己、あるいは私という意識というものを、そのようには捉えず、ある程度の期間連続したものとして捉えています。

そして、自己というものをある程度連続・継続したものとして定義するならば、別の宇宙においてでも、この宇宙の私とある程度以上共通する情報を持つ存在がいるならば、それもまた私だと呼ばなければなりません。

通りすがり通りすがり2006/11/04 03:29グレッグ・イーガンの順列都市?
今の人生でアレでも別世界でリターンマッチ出来そうですねいやっほーぅ!(とか言ってみる)

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/04 08:46どもども、早レスありがとうございます。


>通常我々は自己、あるいは私という意識というものを、そのようには捉えず、ある程度の期間連続したものとして捉えています。


そうですね。
「10年前の自分と、今の自分と、10年後の自分は、どれも自分である」と、たいていの人は「感じ」ていますよね。
「でも、別の宇宙の自分と、自分は、どちらも自分である」と「感じ」る人って、どれくらいいるのでしょうか?
別の宇宙で、自分と同じ原子配列の人が生きているから、自分は死んでも、自分は死んだことにはならない、と感じる人がどれくらいいますかね?

「コピーマシンで、あなたのコピーを作りました。今後はこのコピーが、あなたの代わりに生活しつづけます。なので、あなたは、戦闘機に乗って、敵に体当たりして死んでください。あなたのコピーが生きているのだから、あなたが死んだことにはなりません。安心して死んでください。」
と言われて、神風特攻する戦闘機に安心して乗り込む人もいると思いますが、コピーはあくまでコピーであり、コピーが生き続けても、自分が生きていることにはならないと感じる人も多い、いや、むしろその方が多数派ではないですかね?


要するに、自我同一性の定義は、結局、「どういうケースを同一だと感じるか?」という、フィーリングによってなされる以外にはないのではないか、という疑問。


なぜなら、「1時間後の自分と現在の自分が、別人である」ことを論理的に証明してみせても、1時間後の自分が死んでもかまわないと思う人は少ないでしょうから。


これは、逆も同じで、コピーした自分が、自分と同一人物であることを、論理的に証明して見せても、コピーが生きているから、自分は死んでも死んだことにはならないと思う人は思うでしょうし、そう思わない人はそうは思わないからです。


「自分のコピーが生きていても、自分が生きていることにはならない。」と「感じる」人に対して、「コピーが生きていれば、あなたが生きているのと同じことだから、あなたはそう感じるべきだ」と言ったところで、その人の「感じ方」が変化するのかな?という疑問です。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/04 08:48誤植訂正

修正前:「でも、別の宇宙の自分と、自分は、どちらも自分である」と「感じ」る人って、どれくらいいるのでしょうか?
修正後:でも、「別の宇宙の自分と、自分は、どちらも自分である」と「感じ」る人って、どれくらいいるのでしょうか?

IWAKEIWAKE2006/11/04 12:01>通りすがりさん
そうですね。ただどうせなら、別の人生で幸福になることを期待するより、この人生で「今」幸福になるよう努める事を推奨しますけど(^^

ただし、死んだらすべて終わりだと考えて憂鬱になるよりは、その後にもチャンスはあると考えてリラックスして「今」に取り組めるほうがいいかもしれません。


>fromさん

私も、「結局本人がどう感じるか」が自我同一性のもっとも有用な定義になると思います。

ここで、ほぼすべての人はその思考の特質により、
「同じ時間に「別の場所」に存在する相手は私ではないが、別の時間に存在する誰かは私であってもよい」
と感じる点に注意して、次の例を見てみたいと思います。


神風特攻員「A」のコピー「B」を作ります。そしてBは眠らせておきます。そしてAの頭には、彼が死ぬ瞬間までに得たデータを基地に送る装置を取り付けます。そしてAが特攻して死んだら、それまでの記憶データをBに移植し、Bを目覚めさせます。この場合、Aの主観では、自分が特攻したと思った直後、基地のベッドに横たわっている自分に気付きます。そしてBの肉体の中で目覚めた意識は、「私は違う肉体に入ったのかもしれないが、私は間違いなくAである私である」と感じるでしょう。むしろ彼にとっては、頭に取り付けたのは瞬間移動装置であり、自分が死にそうになると基地にテレポートする機能があるんだよと説明されていても、主観的には何ら矛盾はないでしょう。

さてここで、彼が自分のコピーを自分であると感じた理由は、2人が「同時に」は存在していなかったからです。Aが特攻に行く前にBを目覚めさせ2人が出会ったなら、彼らはこう感じます。「私と酷似した体を持つ他人がいる」と。


このように、「同時に別の場所で活動している対象を自己とは感じない」という性質を踏まえるなら、次のように説明すればどうでしょう。

あなたが死んでも、数億年後の未来にどこかの銀河で、あるいはこの宇宙が消滅した「後」数兆年後に生成されるある宇宙(同時に存在する他の宇宙ではなく、この宇宙の「後」で生まれる宇宙と言うところがポイント。結局それらの宇宙間がどのように「離れている」かなど、正確に描画しようがないのでこの表現も不適切とはいえない)において、あなたは死ぬまでの記憶をすべて保ったまま生き返りますよ。肉体も、死ぬ前に健康だった状態そのままです。それはあなたにとっては、瞬きする間に別の場所に自分が瞬間移動したように感じられます。これは必ず起こりますので、死を恐れる必要はありません。死の瞬間には、ただ周りの環境が変わるだけですよ。

このような説明なら、これを信じる人にとっては、そこで目覚めた人物が自分であるということを感じられるでしょう。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/04 13:57

一点目。
「実際に生きて死ぬ当事者」にとっては、一般的に多くの人がどう感じるかということは、関係ないことのような気がします。
要するに、この問題は、一般論を論じるのは、あまり意味がないような気がします。


二点目。
神風特攻隊員の例だと、もちろん、目覚めた特攻隊員Bは、自分は特攻隊員Aだと思うでしょう。
また、目覚めたBがコピーだという事実を、周囲の人に教えなければ、目覚めたBに接した、周囲の人は、特攻隊員Aだと感じるでしょう。
また、Aの意識は、死んだ瞬間、Bに転送され、Bの肉体の中で目覚めたのだ、と感じる人もいるでしょう。
実際、そう解釈しても、全く矛盾は起きません。

しかし、「BはAの記憶のコピーを持っているから、Aの意識がBの肉体の中に入ったと思いこんでいるけれども、あくまで、それはBという別個の意識がそう思っているにすぎず、Aの意識自体は、特攻隊員Aは死んだとき、消滅してしまったのだ」と感じる人も当然いるわけで、そういう解釈をしたとしても、やはり全く矛盾しません。

論理的には、どちらの解釈も、成立してしまうわけです。
なので、結局、「これらから実際に生きて死ぬ当事者」がどう感じるか、ということでしか、自我同一性の問題はやはり決められず、その当事者が、「このケースでは、Aが死んだとき、Aの意識は消滅してしまったのだ」と感じる限り、当事者にとっては、Aの意識は消滅してしまったのではないでしょうか?

そして、これは、「こういうような当事者にとっては」という修飾なしに、議論することが、本質的にできないような議論なのではないでしょうか?

IWAKEIWAKE2006/11/04 20:08
結局の所その人が、「私はどこまでを私と定義するか」、「私はどの意識までを私の意識と定義するか」によって、「私の意識」が消滅するかどうかの解釈が分かれるということでしょうか。

ここでは自分の意識に関する定義が異なる3人の人物、C,D,Eを用いて、それぞれの主観的な見方で書いてみますね。

「俺の名はC。今から特攻する。俺が死ぬ瞬間に俺の意識はBと呼ばれている体に転送してもらえるらしい。(ドーン!)おや?ここは基地のベッドじゃないか。どうやら予定通りBの体に移れたようだな。死ななくてよかったぜ」


「俺の名はD。今から特攻する。俺が死ぬ瞬間に俺の意識はBと呼ばれている体に転送してもらえるらしい。まーそうは言っても体が変われば別の意識になる訳だし、俺の意識が死ぬことには変わりないな。(ドーン!)おや?ここは基地のベッドじゃないか。しかしDは死んだはずで、俺はもうBの脳が作っている別な意識な訳だな。俺はDが持っていたすべてを持っているが、Dは死んでしまったんだなぁ、、、」

このDについて、別な状況で考えます。Dは、人間の体を構成する原子が7年ですっかり全部入れ替わってしまうことを知っています。

「俺の名はD。お、信号が青になったから渡るか。うお、信号無視でトラックがつっこんできやがった!(ドーン!)・・・おや、ここは病院のベッドじゃないか。1日くらい気絶してたのかな。え!?事故からもう15年も経ってるだって!?するともうDの脳を構成した原子は散り散りになっちまって、どこにもDの脳は無いってことだ。つまり、Dの意識は死んでしまったってわけか、、、。俺は今自分がDだと思っていたが、もうDの肉体は存在せず、漸次Dの肉体と入れ替わってできたこの新たな肉体の脳によって作られた、別の意識なんだなぁ」

次がEです。

「俺の名はE。俺はまったく同じ原子によって構成される脳に作られた意識しか、同一だとは認めない。脳を構成する原子は毎瞬入れ替わっているので、俺の意識はたった今生まれてすぐに死ぬ。そしてその後には、わずかばかり違う原子によって構成された脳に作られた意識が、また一瞬だけこの体を使うだろう。その意識は俺の意識とよく似ているだろうが、別物だ。そして俺の名はEかもしれないが、最初に名乗ったEとはもう別人だ。」


このように自己の意識に関する定義によって、当人にとって意識が消滅したかどうかは変わります。そしておそらく、ほとんどの人はCと同じ感性を持っているでしょう。自分の意識が、どのような脳によって作られているのかをそれほど神経質には捉えていないはずです。そう考えてエントリは書きました。Cの感性が一番自然な気はしますが、Eであってもいいと思います。ただDに関しては、ダブルスタンダードのような不自然さを感じます。Dは、いったいどの程度の比率まで脳を構成する原子が同じなら、その脳によって作られた意識を自分の意識だと認めるつもりなのでしょう。

ここを良く考えていくと、DもまたCのように考えるようになっていくのではないでしょうか。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/04 22:12なんか、思ったんですけど、
「肉体とは別に、意識というものが存在する」
ということを前提に話が進んでいませんか?
つまり、意識が、単なる脳神経ネットワークの神経伝達物質とシナプスの電気的・分子的活動の結果ではなく、それらによっては説明できない、物質を超越したなにかである、という前提で話をしてませんか?
もし、活動するニューロンの束が、活動するニューロンの束自身のことを、「意識」と認識しているだけなら、特攻隊員Aの意識が、Bに転送されるなんて、そもそもありえないと思うんですけど。
寝る時間なので、詳しくは、というか、続きは、明日の朝、また。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/05 06:38

要するに、現実主義者と神秘主義者の違いなのではないかと。

たとえば、機械が故障したとき、
「邪悪な霊が機械に入り込んだからだ」
と考える人と、
「部品のどれかが壊れたからだ」
と考える人の違い。

そして、現実主義者は、
「意識とは、脳の分子的・電子的活動の組み合わせ状態のことである」
と思っています。

これに対して、神秘主義者は、
「意識とは、脳の分子的・電子的活動では説明できない、超自然的なもの(魂とか霊みたいなもの)」
と思っています。

現実主義者の言い分は、こうです。
たとえば、
●ご飯を食べる前と後では、意識の状態が違う。
これは、血糖値の上昇が脳の物理化学的な活動を変化させたからだろう。
ということは、意識とは、物理化学的なものによって変化するようなものだ。
だから、意識とは脳の物理化学的な活動のことだろう。

●ゆったりした幸せな気分(意識)のときと、苦痛を味わっているときでは、違う脳波分布になる。
ということは、意識の活動は、脳波測定器という、物理化学的な装置によってある程度計測されるようなものだ。

●事故で脳の前頭葉の一部に傷をおった人は、性格ががらりと変わってしまった。
これは、脳の物理的構造と、意識の構造が対応関係にあるからだろう。

●鬱病やパニック障害になったら、その人の霊や魂が傷ついたと考えて、霊媒師のところへ行くより、鬱病やパニック障害は、単に脳の物理的状態が病的になったと考え、脳の分子的なメカニズムを調整するような、鬱病の薬を処方してもらった方が、実際にはよくなることが多いよな。

そして、この手の経験的事実から、
「わざわざ、霊とか魂とかを持ち出さなくても、意識の動きは、物質だけから十分説明できるし、そういう説明の方が自然だよな。」
「むしろ、霊や魂のような、超自然的なものだと考えると、霊感商法の詐欺に引っかかって酷い目にあうよな。」
と考えるわけです。

それが、現実主義者の生活実感なわけです。
これは、科学信仰とは別のもので、単に、生活の中の現実的なものごとを処理していくうちに身についた感覚です。
これはもちろん、多数決の問題ではありませんが、ぼくの周りに聞いて回ったところ、科学の知識がかなりあやふやな人の中にも、「脳が破壊されたら、意識は消滅する」という実感を持っている人は多いようです。


そして、現実主義者は、脳の活動のことを「意識」という言葉で呼んでいるだけなので、一つの脳に一つの意識があり、脳が2つあったら、2つ意識があると考えます。

そして、Aの脳から意識が抜け出して、Bの脳に入り込む、などということはありえないと考えます。
なぜなら、意識とは、脳の物理的活動状態のことなので、脳とは独立して意識というモノが存在すると思っているわけではないからですl。

そして、AとBは、脳が別ですから、当然、Aの脳が破壊されたときに、Aの意識は永遠に消滅したと考えます。
なぜなら、意識とは脳の物理的活動状態の呼称のことですから、Aの脳の物理的構造が失われれば、それが活動することは、永遠にありえないのです。

また、いったん、Aの脳が破壊されて物理的構造が失われたあと、1兆年後に、別の宇宙で、Aの脳と同じ構造の脳Xが偶然できたとしても、それは単に、Aの脳の構造と同じ別の脳が生まれただけであって、Aの脳とは、直接なんの関係もない話だと考えます。

現実主義者にとっての、自我同一性とは、脳の物理的構造の連続性なのですから、いったん構造が破壊されて、あとから、それと同じ構造がたまたまできたとしても、それは、同一(identical)なものではない、と感じるのです。

もちろん、現実主義者にとっても、愛も人生も価値があるものだということは、何も変わりません。
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20060720/1153355972


一方で、神秘主義者は、事物の説明に、幽霊、魂、神、未知の宇宙意識の介入、運命、を用いることを気軽に受け入れますから、彼らにとって、意識や自我同一性の問題は、極めてシンプルです。

物理現象とは関係なく、死んだら天国やあの世へ行く、別の生き物に生まれ変わる、高次の宇宙意識になる、などと素直に考えます。
神秘主義者にとっては、ややこしい自我同一性の議論など、必要ないのです。


そして、もちろん、これは多数決の問題ではありませんが、とくに現代の先進国においては、神秘主義者が圧倒的多数派というわけでもないと思います。
ボクの実感値としては、現実主義者も、かなりの数がいると思います。

IWAKEIWAKE2006/11/05 19:25まず明確にしておきたい点は、このエントリとそれに関するコメントでは、私は常に現実主義者としての観点で考え、神秘主義的観点やその是非については触れないつもりでいます。しかし、formさんにそういった誤解を与えるような書き方になってしまい申し訳ありません。おそらく、Aの最後の意識とBの最初の意識が繋がっているかのような書き方が問題だったのでしょう。私の設定では、A~Eは全員現実主義者です。Aの意識をBに転送するというのは、「Bが目覚めた際には主観的にはまるでAの意識がここに転送されたかのように感じられるよう、同じ時刻に同じ状態の脳が複数存在したりしないよう注意しつつ、Aの最後の記憶までを正確にBの脳に再現するような処置をBの脳に対して施す」という意味です。そしてBの中で目覚めた意識が、主観的には自分はAと繋がっているように感じるという状況のなかで、それをどう解釈するだろうかということを説明したかったのですが。


そして私が問題としたのは

「私の体は明日火葬されるとして、今の自分の脳とまったく同じ脳神経ネットワークの神経伝達物質とシナプスの電気的・分子的活動を持つ脳が、今の私の脳を構成する原子を用いずに10年後に存在しても、その脳によって作られる意識は私ではない。」

と考えている人が、

「今の自分の脳と若干異なる脳神経ネットワークの神経伝達物質とシナプスの電気的・分子的活動を持つ脳が、今の私の脳を構成する原子を用いずに10年後存在するなら、その脳によって作られる意識は私である。(10年後の私の脳によって作られる意識もまた私である)」

とも考えている点です。

何かおかしいと思いませんか?
意識は脳だけに依拠しているんですよね。それならば、10年後に存在する脳の状態だけによってその脳によって作られる意識が誰であるかが決まるはずなのに、彼は1日後にある人物の体が火葬されるかどうかによって、10年後に存在する脳によって作られる意識が誰であるか変わると考えているんですよ?

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/05 21:18

そうなんですよね。
ちょっとひっかかるところなんですよ、そこ。
なので、ボクも昔、その問題について、考えてみたことがあります。

そのとき、最初に思い浮かぶ、意識の同一性の根拠は、次の2つが考えられるわけです。
(1)脳を構成する物質が同一であること。
(2)脳のニューラルネットワークの微細構造が同一であること。

そして、このうち、(1)は、人間の体を構成する物質は、どんどん入れ替わるので、根拠にならない。
また、(2)は、原子配列が全く同じコピー人間を作った場合、そのコピー人間はオリジナルと同一人物ということになってしまうけど、実際には、コピーが殴られても、オリジナルは痛くもなんともない。

なので、この2つのどちらも、同一性の実感と合わないぞ。変だぞ、と。

で、そのとき思いついた3つめの同一性の根拠が、
(3)「オリンピックの聖火」の同一性
なんです。

たとえば、蝋燭の炎って、それこそ、秒単位で、炎を構成する全分子が入れ替わってますよね。
でも、蝋燭の炎を見て、人は、「ここに、蝋燭の炎が「ある」な」と、思うわけです。

人間の体も同じで、新陳代謝によって、どんどん物質が入れ替わりながらも、ある程度一定の形を保ち続けますよね。
つまり、どんどん物質が入れ替わりながら燃えさかる炎のような「動的な状態」が「意識」であると。

そして、オリンピックの聖火リレーのときに、彼らが聖火の同一性をどのように扱っているか、というのを観察すれば、この3つめの同一性の感覚がよくわかると思うんですよね。

聖火リレーの途中で、絶対に火が消えてはいけない。
いったん消えた火を、ライターでつけなおしたりしたら、それは、元の聖火台で着火された聖なる火ではなくなってしまうんですよね。
途中で、一度でも消えたら、同一性は失われてしまうと。
ライターでつけなおした炎の形が、消える前と、形状や構造が同じであっても、それは別の火であり、オリジナルの聖火ではないんですよね。

人間の自我同一性の感覚って、この、(3)の同一性に近いのではないかという気がしました。


なので、
「10年後に存在する脳の状態だけによってその脳によって作られる意識が誰であるかが決まる」とは、感じないと思うんですよ。
なぜなら、それは、(2)の微細構造の同一性はある程度満たすかもしれないけど、(3)の聖火の同一性を満たさないから。
現実主義者は、(2)の同一性もある程度は重要だと考えるでしょうけど、(3)の聖火の同一性は、それとは比較にならないほど決定的に重要だと感じているのではないでしょうか?

ぶっちゃけ、(3)の聖火の同一性さえ保たれていれば、性格ががらりと変わってしまい、記憶も全部入れ替わってしまうとしても、自分の自我同一性は保たれていると考えるんじゃないですか?

なので、「1日後にある人物の体が火葬されるかどうか」というのは、(3)の聖火の同一性が失われるということで、決定的に異なる事態だと認識するのではないかと。


あと、蛇足ですが、細かいことを言うと、人間の体は炎と異なる部分もあります。
人間の細胞には、物質がどんどん入れ替わる細胞と、物質的にもかなり固定されている細胞の2種類がある、という点ですね。

つまり、皮膚細胞のように、どんどん入れ替わる細胞と、脳細胞のように、入れ替わらずに、何十年も生き続ける細胞があるわけです。

もちろん、脳の神経細胞も、物質的な代謝はします。電気信号を発生させなきゃならないし、イオン濃度を変化させなきゃならないし、神経伝達物質も生産しなきゃならない。

しかし、ニューロンのネットワークを司るタンパク質やコレステロールの構造の部分の分子は、どれだけ入れ替わっているのかは、よく分かってません。もしかしたら、あまり入れ替わってないのかも知れません。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/05 21:23ちなみに、コールドスリープをした場合、(3)の聖火の同一性が保たれないんじゃないか、という不安がびみょーにあったりするのですが、よくよく考えてみると、燃えさかる炎の動的な状態のスナップショットに相当するものが、人間の場合、動的に変化し続けるニューロンのシナプス結合ネットワークに相当するから、冷凍して解凍しても、短期記憶ぐらいは失われるかも知れないけど、それは、パソコンのサスペンドとレジュームに相当するようなもので、聖火の同一性は保たれるのではないか、と思いました。

IWAKEIWAKE2006/11/05 23:20
なるほど、聖火の同一性ですか。それは私にとって新しい考えです。第一印象では、その主張は感覚的過ぎて現実主義者として失格だ、とも感じたのですが、そこから何か新しい視点が出てきそうな感じもするので、今からじっくり考えてみます。気になる点は、2つ以上に火を分けたらどうなのかと(受精卵時点でコピーを複数作り、オリジナルを殺し、コピー同士をまったく同じ脳になるようコントロールしつつ発生させていった場合)と、途中でランナーがライターを持って密室に入り、しばらくしてから密室から出てきた場合(特攻の例では、事前にも事後にも当人には嘘の説明をした場合)ですかね。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/06 07:44
何点かあります。

一点目。

> その主張は感覚的過ぎて現実主義者として失格だ、とも感じた

同一性の根拠は、すべて感覚ですよね。
(1)~(3)の同一性は、どれも、単なる感覚以外のなにものでもない、という点は共通しています。

もっと正確に言うと、それは、
「自分の自我同一性を問題にしている当事者の、問題にしている時点から未来への自分の感覚」
です。

要点を整理すると、

(X)自分の感覚
当事者でもない他人の感覚がどうであるかなんて、関係ない。
生きて死ぬ当事者である、自分がどう感じるか、ということが問題。

(Y)自分の自我同一性
他人の自我同一性について、自分がどう感じるかというのは、問題ではない。
他人が自分の自我同一性についてどう感じるかも問題ではない。
自分の自我同一性が、自分にとってどうであるかが、問題なのです。

(Z)自我同一性を問題にしている時点からはじまる未来へ向けての自我同一性
過去の自分の自我同一性は、問題ではないのです。
問題なのは、現在の自分の自我同一性なのです。
過去の自分が、AとBの二つに分裂して、Aが自分である場合、
自分が死んでも、Bが残るから問題ない、とは、Aは思いません。
なぜなら、それは、過去の自分の意識は、Bの中に残るかもしれませんが、
現に今、こうして存在する当事者であるAの意識は消滅してしまうからです。
分裂する前の過去の自分にとっては、問題のないことが、Aにとっては
問題となるのです。
つまり、過去の自分を当事者とした場合の自我同一性と、
現在の自分を当事者とした場合の自我同一性は、別物なのです。


となります。


二点目。(3)聖火の同一性の感覚を持つ人は、ときどき見かけます。
たとえば、以下のid:kusigahama氏ブクマコメントがその例です。

# 2006年10月31日 kusigahama <略>「単にコピーが生きているだけの話で~」 少しずつ置き換えてけば自我の連続を保てないかな。

これは、以下の記事についたブクマコメントです。
http://fromdusktildawn.g.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20061030/1162173135

彼らの聖火の同一性の感覚とは、具体的イメージとしては、記憶や脳細胞を少しずつ置き換えていったときに保たれる同一性の感覚です。

たとえば、200年後に細胞の不老化技術が完成し、それによってある人が、若いまま、10万年生きたとします。
そして、1万年も生きれば、脳細胞が記憶できる容量がいっぱいになってしまうかもしれません。
そうすると、脳にこれ以上記憶するスペースがないわけです。
そこで、それ以降は、記憶を上書きしていったとします。
そして、10万年後に、最初の一万年の記憶が100%上書きされて消えてしまったとします。
つまり、脳の微細構造のレベルだと、ニューロンの結合パターンの構造がまったく異なる人間になってしまったわけで、(2)の同一性は、完全になくなっているわけです。

そういう状態でも、「自分は生き続けているのだ」と感じる人たちがいて、その人たちの自我同一性の感覚が、(3)の聖火リレーの同一性の感覚なのではないかと。

また、よくあるのが、脳に量子コンピュータを埋め込んで、それをニューロンと密結合させるパターン。
長い年月の間に、脳のニューロンと、情報経路が緻密に絡み合い、完全に量子コンピュータと一体化し、一つの統一した意識になったとします。
そのあと、少しずつ、ニューロンが死滅していき、最後に、量子コンピュータの部分だけが残ったとします。
この場合、その量子コンピュータは、自分の意識であり、自我同一性は保たれていると考えます。
これが、聖火の同一性です。


3点目。

同一性とは、「どの当事者の、どの時点での」という、主体と時点の修飾をしないと、意味をなしません。
そして、その当事者が、「自分の意識が消滅するのかどうか」を問題にしているその時点が、聖火の発火時点です。
過去の自分の自我同一性が問題なのではなく、現在の自分の未来への自我同一性が問題なのです。

なので、

> 受精卵時点でコピーを複数作り、オリジナルを殺し、コピー同士をまったく同じ脳になるようコントロールしつつ発生させていった場合

この場合、当事者はだれなのか、というのが問題です。
まず、受精卵自身を、当事者と考えるのは、自我同一性の問題の例として適当ではないと思います。
なぜなら、受精卵自身は、自分の意識が将来消滅してしまうのではないかと悩んだりはしないからです。
あるいは、悩んでいるのかもしれませんが、それは外から見ていても分かりません。

また、コピーのうち一つを実際に生きて死ぬ当事者とした場合、受精卵は、過去の自分でしかなく、他のコピーやオリジナルの生存は、過去の自分である受精卵の自我同一性には関係合っても、当事者であるそのコピー自身の自我同一性とは関係有りません。
他のコピーが生きていても、過去の自分の自我同一性が保たれるだけであって、当事者である現在の自分の自我同一性が保たれないからです。

つまり、聖火の自我同一性においては、「聖火の発火時点はどこなのか?」が問題なわけで、自我同一性の原則からすると、当然、「自分の意識が将来消滅してしまうのではないか」と考えている当事者の、考えているその時点が、聖火の発火時点なのです。
なので、受精卵は、発火時点ではないのです。

どうでしょうか。

IWAKEIWAKE2006/11/06 22:44言葉足らずで申し訳ありませんでした。今後はもっと意図が明確に特定出来るように書くよう注意します。


1. 受精卵時点でのコピーの例で私が意図した状況は次の通りです。

 オリジナルの受精卵を破棄するのは、それ以降オリジナルについては考えない為です。そして、そこから作ったコピーG、Hについて考えます。GとHはまったく同じタイミングで作られ、その後彼らについては、その細胞を構成する素粒子の振る舞いまで完璧に同じになるようコントロールしつつ制御していきます。そしてある程度脳が形成されたら、脳以外はとりはずし、その脳にバーチャルリアリティーを見せていきます(これからの思考実験を簡単にするためです)。もちろん脳にたいする栄養供給等の点も完璧です。さて、GとHの脳は、素粒子に至るまでその挙動が制御されていますので、まったく同じ仮想世界で(ただし彼らにとっては現実に感じる世界で)、まったく同じ体験をし、まったく同じ事を思考します。そして、仮想世界で彼らが大人になったとき、彼らに同時に、彼らには受精卵時点からまったく同じ体験をしているもう1人のコピーがいる事を告げ、なおかつその日の夜彼らが寝ている間に彼らのうちいずれかが消される予定だとも告げられます。

というような形で、実際にすべての体験をまったく同じようにしてきている意識が残るならどうなのかと考えた訳です。例えばfromさんがGだっとして、「自分の意識が将来消滅してしまうのではないか」と考えた場合、それとすべての点で同じに、「自分の意識が将来消滅してしまうのではないか」と考える意識がHにあり、なおかつ彼はGが消える瞬間までの体験もすべて経験します。


2.記憶や脳細胞を少しずつ置き換えていったときに保たれる同一性の感覚について。

これについての疑問は、いったい「どの程度」少しずつなら同一性が保たれるのかという点です。脳とバイオチップの置き換えで考えます。まず、脳の全機能をコピーしたチップを作ります。それで、チップを頭に入れ、神経系等とも直結させます。そして、脳のある機能(例えば記憶の1%とか)を壊すと同時にチップのその機能をオンにします。この場合、脳の総機能を100%として、毎秒何%の移行ペースなら自分が「死なない」というのでしょう。おそらく、1フェムト秒ごとに10%では、死んだと「感じる」のでしょう。そして1年に10%では、死なないと「感じる」のでしょう。その中間のどこかに、おおよそこのくらいのペースという線があるとしても、それってあまりにも曖昧すぎやしませんか?自分が死ぬか死なないかですよ?どうも私には、一度に100%でも死んでないと主張するか、100年かけるペースであろうと最初の1ビットでも移行したらそれは自分じゃないと主張するか、そのどちらか以外の主張をする人は自分に対して(現実主義者を自認するなら)ごまかしがあるような気がします。


3.同一性の感覚について

現実主義と言う言葉を、私はfromさんと違う意味で使ってしまい、そのために誤解があるかもしれませんけど、その場合はご指摘下さい。

自我同一性の根拠(1)、(2)、(3)において、(1)、(2)は現実主義ですが、(3)はむしろ神秘主義でしょう。

>(1)~(3)の同一性は、どれも、単なる感覚以外のなにものでもない

とありますが、感覚は(3)だけです。

誰も、
「ああ、今の自分の脳を構成する物質は、昨日の自分の脳を構成する物質と同じだなぁ」
等とは「感じ」ませんし、
「ああ、今の自分の脳のニューラルネットワークの微細構造は、昨日の自分の脳のニューラルネットワークの微細構造と同じだなぁ」
等とは「感じ」ません。
ただ論理的科学的に考えていくとそうであるはずだと「考える」だけです。そしてそれらは外部からの観察でもそうであることが確認できる物質情報であり、現実主義者はそういった物理的証拠を「根拠」とします。

それに引き替え(3)は正に、ただ自分がそう「感じる」だけです。

「私には風が私をどこかに導いているように「感じ」られる。そしてそこに智恵や優しさを「感じ」るから、私には風の精霊が私を導いて下さっているように「感じ」られる」

「私は聖火の炎を構成する物質が毎瞬変化している事を知っているが、それでもその炎が最初に点火したときと同一のものだと「感じる」」

このように、(3)は原初の自然崇拝と同じレベルでの「信仰」です。(ひとつ言っておきたいのですが、私はこの(3)を、大変好意と親しみを持って見ています)

ですから、現実主義者としては、(3)は根拠として認めるわけにはいきません。

次の例を見て下さい。

「我々夫婦は、人工授精で子供を産んだ。しかし私はこの子を自分の子だとは認めない。もちろん、法的、あるいは遺伝情報的には本当の自分の子と同じものを持っていることは認める。しかしこの子は私の本当の子では無い。なぜなら、生物は雌雄に別れて以来数億年をかけて自然交接によって子を為してきたのに、この子はその方法によらず生まれた為だ。尚、もはや私には生殖能力は無い。よって、遠い祖先から遙かなる時を超えて営々と続いてきたいのちは私の代で死に、永久に途絶えてしまうのだ。誰がなんと言おうと、私にはそう「感じ」られるのだ」
(この人が言っているいのちは自分の直系子孫についてです)

このような主張があってもいいとは思いますが、この主張が現実主義者のものだとは思いません。現実主義者は、その子は間違いなく彼の本当の子であるし、代理出産だろうと彼の本当の子であるし、その子のクローンを作ったとしても、そのクローンは彼の子だと主張するでしょう。現在の物質的状況に至る過程にはよらず、現在の物質的状況のみを現実主義者は判断します。
よって聖火の同一性は神秘主義者の主張です。


4.特攻時の嘘の説明の例

これは次の条件を考えていました。

特攻隊員AのコピーBを作ります。Bを作ったことをAに教えません。基地には次の二つの装置があります。

(ア)死ぬ瞬間までの記憶を基地に転送し、コピー人体の脳に移植する装置
(イ)基地までの自律飛行機能及び完全防御機能付き脱出ポッド

どちらの装置もAには作動しているかどうか知ることが出来ません。Aは特攻する1分前に麻酔で眠らされ、その後戦闘機はオート飛行で特攻します。

さて、上官はAに次のいずれかの説明が出来ます。

一「実はおまえのコピーBがもういるんだ。おまえが特攻しても(ア)を使ってやるから安心しろ」
二「特攻10秒前に(イ)が作動するから安心しろ」

そして記憶を移植されたB、あるいはポッドで眠りながら帰還したAにも目が覚めたとき次のいずれかの説明ができます。

三「(ア)を使ったんだが、うまくいってよかったよ」
四「(イ)を使ったんだが、うまくいってよかったよ」


ここで、聖火の同一性を根拠とする人にとっての問題は、AあるいはBが、自分が死んだと感じるかどうかは、上官がどちらの装置を使ったかではなく、どちらの説明をするのかに依存するという点です。

だれがなんと言おうと自分がどう「感じるか」だけで自分の生死が決まるはずなのに、ここでは上官がなんと「言うか」だけで自分の生死が決まってしまいます。

要はこんなにいいかげんで弱い根拠で、「私は誰なのか」を決めてはいけないんじゃないのかということです。仮に上官の言葉を疑う性格だったとしても、「私は誰なのか」が分からないということになってしまいますから。現実主義者はこんなに弱い根拠を自己の拠り所とはしないでしょう。


5.私の主張と気持ち

結局全体としては何が言いたいのかをまとめて書きますね。


生粋の現実主義者だったら、エントリ本文で書いた説明を読んで、自分が不死だと感じなさいっ!

エントリ本文が自分の実感と合わない人にとっては、意識が脳だけで作られるという現実主義の考えはあなたの世界を十分に上手くは説明出来てませんっ!

それならもっとよく世界を説明出来るかもしれない神秘主義的考えを真剣に検討する価値あるんじゃないのっ?

普通の自称現実主義者は無邪気にも(1)と(2)を信じていそうなのに、(3)の感覚を言語化出来る程に詳しく探るとは凄いですな。

でも聖火の同一性は神秘主義的です!

現実主義的考えと矛盾せずにそれを包括できる様な神秘主義的考えがあると考えてますよ~。


こんな感じですね。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/07 14:19
まず、そもそも、ここで問題となっているのは、「当事者にとって、自分の意識が消滅するかどうか」です。
なので、この問題は、必然的に、ある物理的現象の「想定」を、当事者の主観が、どのように「意味づけるか」という問題になります。
なぜ「想定」なのかというと、当事者は、「自分の意識の消滅そのもの」を「感じる」ことが、原理的に不可能だからです。なぜなら、感じるための主体が存在しなくなってしまうからです。

たとえば、爆弾などで「自分の脳が粉砕される」ことを、「感じる」ことなど、だれもできません。
それを「感じる」べき脳が破壊されてしまうからです。

だから、問題の論点は、当事者が、「自分の脳が、ある物理状態になった場合」を「想定」したとき、その状態を、意識の消滅と「みなす」かどうかという問題です。

この「みなす」という言葉で言っているのは、当事者の「主観」が、「それをどのように認識し、どのように意味づけるか」、ということです。そのことを、「感じる」、「考える」、「認識する」などの別の言葉に置き換えても、言っていることは、本質的に違いはありません。

意識というのは、ある物理的状態、もしくは、物理的状態の変化プロセスの「意味づけ」であり、それ以上でも、それ以下でもありません。

そして、この場合、当事者が、自分の脳の未来における物理的状態を「想定」したとき、その物理的状態をもって、「意識が消滅した」と「認識」するかどうか、が論点なわけです。

なので、
>>
「ああ、今の自分の脳を構成する物質は、昨日の自分の脳を構成する物質と同じだなぁ」
等とは「感じ」ませんし、
<<
というのは、論点ではないです。

これを言うなら、「自分の脳を構成する物質を、全て入れ替えたとしたら、それは、やはり自分が生き残っていると言えるのだろうか?」という「想定」をしたときに、その「想定」を、当事者自身が、どのように、解釈し、意味づけ、考え、感じるか、ということがまさに論点なのです。

もし、自分の脳を構成する物質がすべて入れ替わったとき、別人になってしまったとしても、当事者は、そのこと自体を直接感じることはできません。事前にしろ、事後にしろ、それが「これから起こる」or「起こってしまった」と認識し、それを、「意識の消滅が起こる/起こった」と「認識/解釈/意味づけ」するだけです。

つまり、「意識の消滅」という物理現象が存在するわけではないのです。
「意識の消滅」というのは、物理現象の「主観的な解釈/意味づけ」でしかないのです。

だから、
>>
「ああ、今の自分の脳のニューラルネットワークの微細構造は、昨日の自分の脳のニューラルネットワークの微細構造と同じだなぁ」
<<
も同じはなしで、その物理現象を直接「感じる」かどうかは、論点ではなく、その物理現象が発生する/したことを「想定/予測/認識」したときに、その物理現象を「意識の消滅が起こる/起こった」と解釈/意味づけするかどうか、が問題なのです。

そして、物理現象自体は、「論理的科学的に考えていくとそうなるはずだ」と「想定/理解/認識/考え」るようなものですが、その物理現象を、いくら論理科学的にこねくりまわしても、その物理現象の「主観による意味づけ」である、「意識の消滅が起こる/起こった」にはならないのです。

なので、「外部からの観察でもそうであることが確認できる物質情報」から行えるのは、「物理的状態の認識」までであって、「当事者の主観による意味づけ」である「意識が消滅するかどうか」、すなわち、「自我同一性」が保たれているかどうか、とうのは、論理科学的な推論や、外部から確認できる物質情報からは、できないのです。

そして、この意味において、3つの自我同一性は、どれも
>>
「起こりうる/起こった物理的状態の論理科学的な認識」→「認識した物理的状態の、当事者の主観による意味づけ」
<<
という、同じ構造をしています。

(1)脳を構成する物質が入れ替わった(物理的状態の認識)
→ これは、別人になったということだ。(物理的状態の、主観による意味づけ)

(2)脳の微細構造がすっかり変わってしまった(物理的状態の認識)
→ これは、別人になったということだ。(物理的状態の、主観による意味づけ)

(3)脳の物理状態が動的に変化し続けるプロセスが、脳の物理的破壊により、いったん途中で1回途切れた(物理的状態の認識)
→ これは、別人になったということだ。(物理的状態の、主観による意味づけ)


ここで、(3)が、他の二つに比べて異なるのは、対象となる物理的な状態が、「動的に変化するプロセス」であるため、時間軸方向への広がりを持ち、やや複雑だというだけです。ただ、これは、複雑なだけであって、最初の2つの自我同一性と同程度の厳密さで、物理的に定義できるものです。


この意味で、(1)~(3)の自我同一性は、どれも同じ構造だと思うのですが、それについては、どう思いますか?

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/07 14:42

わたしの気持ち、
というか、議論しながら、裏で考えていること。


自分自身、「意識の消滅」という言葉で呼んでいるものの正体を、十分な程度に、精密に理解しているような気がしない。
いまいち、詰めが甘いところがある気がする。
なので、これについて、もうすこし、掘り下げて議論をしてみたい。

が、議論に夢中になるあまり、相手の感情を損ねないように、十分に気をつけなければならない。

自分の意見を主張したいわけでも、意見を相手に認めさせたいわけでもなく、とりあえず、いま、この瞬間、そう思った、というだけのアイデアを、とことん相手にぶつけてみたい。
というか、そもそも、現時点では、ぼくは、これについて、信念といえるようなものは、何ももっていない。
この議論の結果、どのような結論になるかは、議論をしてみないと分からない。
ただ、ウソやゴマカシは、いやだなぁ。
なんか、あいまいだな、と思うところは、あいまいさが無くなるまで、徹底的に追い詰めたい。
が、それをすると、感情的もつれがおきることがあるので、十分に注意しなければならない。

議論をするときに、感情がこじれるパターンでありがちなのが、結果として、相手の意見を全面否定してしまうような形になるようなケースだ。
でも、気の済むまで、自分が思ったことを、あいてにぶつけると、結果として、そうなりがちなのも事実だ。

このバランスとりが、非常に難しい。
さて、うまく議論をすすめられるかどうか。心配だ。

IWAKEIWAKE2006/11/07 23:35論点を整理して下さってありがとうございます。

私も話を進める際、どの程度付随的な事柄に触れるのが互いの理解の共有に最適なのかのバランスが難しいと感じています。今後はもう少し、核となる点にコミットし、又、暗に反語的な意味合いを含ませるような表現も無くすよう努めます。



ところでたった今やっと聖火の同一性の意味が(たぶん)分かりました。

私が考えた例は、複数台のPCで構成されるオンラインゲームのサーバーですね。で、そこで構築される仮想世界が意識だと。一台のPCが脳細胞の一つですね。サーバを構成するPCの一台を、サーバをダウンさせずに切り離し、別のPCを接続するのが、脳の構成物質の変遷ですね。で、サーバデータをコピーして、別のPC群で同じデータの仮想世界を構築しても、それはオリジナルとは別物だと。そして、サーバが一度でもダウンしたら、その後再起動してもそれは以前の仮想世界とは別の世界だと。

この理解で合っているとして、聖火の同一性に問題があるかどうかは、今日はもう限界に眠いので、明日じっくり考えてきます。でもこの定義なら、意識が消滅し得る気もしてきましたよ。

IWAKEIWAKE2006/11/08 00:27この例を

私が考えた例は、複数台のマシンで構成される自我を持ったシステムですね(2001年宇宙の旅のHALやターミネーターのスカイネットのような)。それと人間の意識が対応すると。一台のマシンが脳細胞の一つですね。システムを構成するマシンの一台を、システムをダウンさせずに切り離し、別のマシンを接続するのが、脳の構成物質の変遷ですね。で、システムの全データをコピーして、別のマシン群で同じデータのシステムを構築しても、それはオリジナルとは別物だと。そして、システムが一度でもダウンしたら、その後再起動してもそれは以前のシステムとは別のものだと。


こう置き換えると、意識が消滅しない気がしてきました。

私の中に矛盾や思い込みがありそうですよ。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/08 05:12
「複数台のマシンで構成される自我を持ったシステム」というのは、形態はネットワーク上なので、似ているような気もしますが、本質的に異なるシステムだと思います。むしろ、ミスリーディングだと思います。

まず、人間の脳の場合、記憶は、細胞間のシナプス結合パターンによって保存されますが、サーバの場合、記憶は、ハードディスクに保存されます。
サーバ同士のトポロジカルな結合パターン自体が、記憶の保存を行っているわけではありません。

サーバは、一台でも、記憶はできます。ハードディスクがついてますから。

しかし、脳細胞の場合、一個の細胞では、記憶をすることはできません。
複数の細胞のシナプス結合パターンによって、記憶を実装しているからです。

なので、このアナロジーは、あまりうまくいかないと思います。

そもそも、サーバの場合、システムダウンして、再起動しても、記憶の本体は、ハードディスク上にあるので、同一性は損なわれないですよね。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/08 06:08
あと、ぼくが問題としているのは、「自分の意識が消滅するかどうか」であって、「他人の意識が消滅するかどうか」ではありません。
当事者でもない人間が、それをどう意味づけるか、というのは、ぜんぜん別の議論です。

物理的状態の認識は、客観的に行うことに意味がありますが、その物理的状態をどう意味づけるかは、意味づける主体を限定しないと、意味がぜんぜん別物になってしまうのです。

そして、「複数台のマシンで構成される自我を持ったシステム」の意識が消滅するかどうかを、当事者でもない人間がどう思うかは、ぜんぜん別問題です。

当事者である「複数台のマシンで構成される自我を持ったシステム」自身が、ある物理的状態をどう意味づけるかが問題とされるのですが、それを、人間が感覚的に想像しようとしても、無用な混乱を招くだけじゃないですか?

あくまで、客観的に認識すべき物理現象と、主観でしか認識できない、「物理状態の意味づけ」フェーズである、「意識の消滅」は、明確に区別して議論しないといけません。

そして、「物理的状態の主観による意味づけ」は、「どの主観が行うのか」によって、ぜんぜん別のことになります。

そして、ここでは、意味づけの主体が、当事者である場合を話しているのです。

fromdusktildawnfromdusktildawn2006/11/08 06:13
この話は、客観部分と主観部分を明確に分離しないと、すぐに議論が混乱します。

客観的には証明も反証も不可能な、「意識の消滅」の問題を、客観だけで行おうとしても、話が混乱してしまうのではないでしょうか?

「意識の存在」を、物理的に観測可能な機器は、存在しません。
なぜなら、意識は、物理状態ではないからです。
それは、「物理的状態の、主観による意味づけ」だからです。

IWAKEIWAKE2006/11/08 22:04なぜか長文コメントが書き込めないので、とりあえず次の日のコメント欄に書きますね。(コメントの総容量が決まってるんでしょうか)

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